2019年9月、茨城県境町で起きた一家4人殺傷事件。雑木林に埋もれるように建つ一軒家に住む小林光則さん(当時48。以下同)、妻の美和さん(50)がめった刺しにされ死亡。中学1年生の長男は腕と両足を切られて重傷、小学6年生の次女は手に催涙スプレーをかけられ、負傷した。
茨城県警は5月7日、埼玉県三郷市に住む岡庭由征容疑者(26)を逮捕。事件以前に、岡庭容疑者と被害者家族に接点はなかったと見られている。重大犯罪者の精神鑑定にもたずさわってきた岩波明氏は、岡庭容疑者のようなタイプを、日本の司法と医療は「いないこと」にしてきたと指摘する。
岩波氏
パーソナリティ障害の事実に向き合うべき
殺人に快楽を覚えるタイプのパーソナリティ障害は、洋の東西を問わずみられ、歴史に残る重大な犯罪者もいます。しかし、私たちの社会はこの事実にこれまできちんと向き合ってきたでしょうか。
重大犯罪が起こるたび、ジャーナリズムは犯行の異常性を詳しく伝え、世間も騒ぎます。しかし、その関心は一過性で、司法も医療も根本的には何も変わらないまま、次の事件が起こる。そんなサイクルをくり返し目にしてきました。
茨城一家殺傷事件の容疑者逮捕を機に、今こそこの事実に向き合うべきではないでしょうか。
複数の人が殺害される事件には、1回きりの大量殺人と、一定の期間をおいて犯行が繰り返される連続殺人があります。両者は似て非なるもので、犯人の特徴には大きな違いが見られます。
1回きりの大量殺人犯は、多くの場合、激情型の犯行におよびます。たとえば1999年の池袋通り魔事件では、犯人の造田博が東池袋の東急ハンズ池袋店前で「むかついた。ぶっ殺す」と叫び、両手に持った包丁と金槌で通行人を次々と襲い、女性2人が死亡、6人が重軽傷を負いました。2007年5月に最高裁で死刑判決が確定しています。裁判や拘置所での支離滅裂な言動を見る限り、私は造田が統合失調症に罹患していたと考えています。
2001年に大阪教育大付属池田小事件で小学生8人を殺害した宅間守も、多動性・衝動性、不注意など、いわゆる落ち着きのなさを特徴とするADHD(注意欠如多動性障害)をベースとしつつ、統合失調症を発症していたと考えられます。ただし、どちらのケースでも、精神鑑定では別の疾患の診断が下されました。
統合失調症の典型的な症状は、被害妄想や幻聴です。宅間の場合には、事件以前の言動から明らかに被害妄想と幻聴が出現しており、実際、精神科でも統合失調症の診断を下されています。日頃から被害妄想や幻聴に悩まされ、本人としてはそれに対抗する形で、凶行に及びました。
雑木林に囲まれた犯行現場
殺人が性的快楽と直結
一方、連続殺人犯は、妄想や幻聴などを伴わず、ある意味、静かに犯行を進めます。
岡庭容疑者は16歳の時に放火、連続通り魔事件を起こしています。茨城一家殺傷事件の約8年前、2011年11月18日に三郷市の路上で中学3年生の女子生徒を、2週間後には三郷市と隣りあう千葉県松戸市の路上で小学2年生の女児を相次いで刃物で襲っているのです。どちらの被害者も重傷で、一歩間違えれば死亡しかねない事件でした。約8年間のインターバルはあるものの、この2件に連続する形で茨城一家殺傷事件が起きたと考えられます。
報道によれば、昨年11月に茨城県警と埼玉県警の合同捜査班が、爆弾製造の容疑で岡庭容疑者の自宅を家宅捜索した際、約44キロの硫黄などの薬品に加え、催涙スプレーの購入記録、パソコンから小林さん宅周辺情報の検索履歴などが発見されています。こうしたものが凶行に関連しているとすれば、彼は入念に準備を進めたことになります。
米国の元心理分析官ロバート・K・レスラーは、大量殺人犯を秩序型と無秩序型に2分しています。先に挙げた造田や宅間のような1回きりの大量殺人犯は、無秩序型といえます。彼らは緻密な計画は立てず、対象も手当り次第です。それゆえ犯行直後に捕まることが多くみられます。
一方、秩序型の犯人の多くは、快楽殺人、すなわち殺人そのものを目的として連続殺人を犯します。「週刊文春」(5月20日号)は、高校時代の岡庭容疑者がナイフを靴下の中や机の中、制服の内ポケットに忍ばせ、自慢気に「ナイフ、ここにある。いつか人を殺してみたい」と言っていたとの同級生のコメントを伝えています。また、教室に猫の生首を持ち込み、教室をパニックに陥らせていたとも報じています。それをきっかけに高2で退学してまもなく、岡庭は前述の通り魔事件を起こしました。激情に駆られ、短絡的に犯行に及んだのではなく、彼は殺人そのものを目的とし、慎重に事を運んだと考えられます。
「週刊新潮」(5月20日号)は、岡庭容疑者の少年審判の際の供述調書(後に被害者らが起こした民事裁判に提出されたもの)の内容を詳しく報じています。岡庭は犯行後、凶器の包丁についた血を舐めたこと、それによって性的に興奮し、自慰行為に至ったことなどを供述しています。前出「文春」の記事も、担当検事の「女の子を殺すこととセックスすること、どちらのほうが、大事なんですか?」という問いに対して、岡庭容疑者が「殺すほうが大事です。そっちのほうが、興奮するからというか」と答えたというやりとりを伝えています。彼にとって殺人は性的快楽と直結しているのです。
逮捕された岡庭由征容疑者
「発達障害」は誤診の可能性
岡庭容疑者は、2013年3月、保護処分相当とされた上、関東医療少年院に収容されました。少年院ではなく医療少年院だったのは、精神鑑定で広汎性発達障害の診断を受けたからです。
広汎性発達障害は、現在、自閉症スペクトラム障害(ASD)と呼ばれています。ASDの症状として見られるのは、「コミュニケーション、対人関係の持続的な欠陥」と「限定され反復的な行動、興味、活動」です。ちなみにASDと、先に触れたADHDを主な疾患として包括しているカテゴリーが、発達障害です。誤解している人が多いのですが、発達障害と呼ばれる単一の病気があるわけではありません。
もっとも、私は岡庭容疑者に対するこの診断に疑問を持っています。報道によると、小学校の同級生たちは彼を「普通の子だった」と口を揃え、他の子と鬼ごっこをしたり、テレビゲームをしたりして遊んでいたとのことです(前出「文春」)。ASDやADHDは生まれつきのものであるため、もしASDであれば、小学校か就学以前から、対人関係の持続的な欠陥や、特別なものへのこだわりといった特徴が現れていたはずです。
誤って発達障害と診断された例は過去にもあります。たとえば愛知県豊川市主婦殺人事件(2000年5月)では、犯人である当時17歳の少年が、精神鑑定でアスペルガー症候群と診断され、家庭裁判所に認定されました。アスペルガー症候群は、ASDの一部です。
事件の概要を簡単に説明します。この少年は中学生の頃から人を殺してみたいという思いを抱いていたようです。そして高校生になったある日、殺人の実行を決意。「自分の感情が通じる以外の人で、若者よりは年金問題で社会のお荷物になっている老人がいい」と考え、近所の家に侵入し、64歳の主婦を見つけます。持参した金槌を頭に振り下ろした上、台所の包丁で、被害者をめった刺しにして殺害。逃走したものの、「寒くなって疲れた」と名古屋駅前の交番に一人で出頭し、逮捕されました。
彼の場合、対人関係の障害は高校時代まで一貫して見られず、限定的、反復的な行動パターンというアスペルガー症候群の診断に必須の項目も確認されていません。それにもかかわらず、裁判所は結局、少年がアスペルガー症候群であるとの診断を受け入れたわけです。
実はこの事件では精神鑑定が2回行われ、アスペルガー症候群という診断が下されたのは、弁護側の求めに応じて行われた2回目の精神鑑定です。私は、それよりも精神科医の故・小田晋氏が1回目の精神鑑定で下した、「人格障害(パーソナリティ障害)」という診断を支持します。
反社会性パーソナリティ障害とは
パーソナリティ障害は、人格が正常から大きく偏っているために、本人や周囲に個人的、社会的な苦痛をもたらす障害です。その中でも、特に犯罪との関わりが深いのが、反社会性パーソナリティ障害です。
その特徴は、「法を破る」「人を騙す」「衝動性や攻撃性」「無責任で向こう見ず」「冷淡で、他人を傷つけることに無関心」「罪悪感がない」などで、以前は精神病質(英語ではサイコパス)と呼ばれました。
岡庭容疑者も、報道による情報を総合すると、反社会性パーソナリティ障害の症状を示している可能性が高いとみられます。
過去のケースで岡庭容疑者に近いのは、1997年の神戸連続児童殺傷事件を起こした少年Aでしょう。14歳の少年Aは、まず路上で小学生の女児2人をハンマーで殴り、一人に重傷を負わせ、その1カ月後、再び小学生女児を金槌で殴って死亡させ、同じ日に別の小学生女児を小刀で刺して重傷を負わせています。さらに2カ月後、小学6年生の男児を絞殺、その後、首を切断しました。
殺人に至るほどの反社会性パーソナリティ障害の持ち主は、欧米に比べると、日本ではあまり見られません。日本で起こる大量殺人では、先ほど挙げた元心理分析官レスラーの分類で言えば、無秩序型で、一時の激情に駆られて一度に複数の人を殺害した後、すぐに捕まるパターンがほとんどです。秩序型の連続殺人はまれです。
その理由ははっきりしませんが、日本の家屋が狭いことが、一つの要因と考えられます。殺人を快楽とし、何年にもわたって凶行をくり返す欧米の連続殺人犯の多くは、自宅に遺体の一部を一種の「記念品」としてコレクションします。こうした行為はある程度広い家でなければ不可能で、日本の家屋で遺体を隠し続けるのは困難です。こうした住宅環境の違いが、日本では抑止力になっている可能性があります。
「動物殺し」は危険な兆候
数は少ないとしても、反社会性パーソナリティ障害を示す人が、一定の確率で出現するのは間違いありません。問題は、いかにして殺人を防ぐかです。
そのためにはまずいち早く危険な兆候をつかまなければなりません。目安の一つは動物殺しです。思春期における性の目覚めと動物殺しが作用し、性的サディズムが殺人へ発展することがあります。少年Aは小5から、岡庭容疑者も中学校に入った頃から小動物を殺し、さらに両者とも何匹も猫を殺しています。
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source : 文藝春秋 2021年7月号