毛沢東やヒトラーにはない「怖さ」がある。
中西氏
毛沢東と「同格」と誇示しているかのよう
これで、はたして「中国の夢」が実現したと言えるのか。
「誰であれ中国を圧迫しようとするものがいれば、14億を超える人民の血と肉で築き上げた鋼鉄の万里の長城に頭を打ち付けて血を流すことになるだろう」
7月1日、北京・天安門広場で行われた中国共産党の創立100周年記念式典で、国家主席にして党総書記である習近平氏はこう述べて、国際社会を強く牽制しました。
習近平お決まりのスローガンである「中華民族の偉大なる復興」も繰り返し言及されました。中国共産党の指導があればこそ、列強に半植民地化され続けた「屈辱の100年」から世界第2の経済大国という今日の復興を成し遂げることができたのだと高らかに謳ったのです。
黒い背広に赤いネクタイ姿の党最高幹部たちが居並ぶ中、たった一人グレーの人民服に身を包んだ習総書記の姿は否が応でも目立ちます。それもあってか、最後に「中国共産党万歳!」と拳を振り上げ鼓舞すると、総勢7万人と言われる聴衆の興奮は最高潮に達しました。
同色の人民服を着た毛沢東の肖像画が大きく飾られた天安門の楼上から、広場を睥睨(へいげい)し、喝采を送る大群衆を見つめる習近平の姿は独裁者そのもの。まるで、自分こそが建国の父・毛沢東と「同格の最高指導者なのだ」と誇示しているかのようでした。
私は広場を埋め尽くす異常とも言える大群衆の高揚ぶりを見て、2人の人物の言葉を思い出しました。
1つ目は、戦前の日本を代表する中国学者・内藤湖南の言葉です。内藤は1911年に行った「清朝衰亡論」という講演の中で、中国の国民性について大変示唆に富む分析をしています。
「支那という国は、(略)外国から侵略されたり敗けたりすると、ただちに種族観念を起こす」
「種族観念」とは、いわゆるナショナリズムのことです。内藤がここで言いたかったのは、中国人は「国家存亡の危機」を感じると、強いナショナリズムに駆られるということです。
世界第2位の経済大国になっても、「外敵を押し戻せ」と国民に発破をかけ、更なる気合いを入れなければならない。ということは、共産党指導部を始め、今の中国は「夢の実現」どころか、実は強烈な危機感に苛まれている、ということでしょう。
中国は今、国際社会、あるいはその代表であるアメリカから「対等の存在」として受け入れられる状況では到底なく、むしろ欧米を中心とした世界の主要勢力による中国包囲網ができつつあり、「孤立化」の恐怖すら感じ始めている。しかも、そうした厳しい状況の中で、習近平は国内掌握という大きな課題に直面しているのです。
党100周年式典で演説する習近平
米露は式典をどう受け止めたか
あの日の習演説を聞いて私が思い浮かべた、もうひとつの言葉はアメリカの元大統領、リチャード・ニクソンのものでした。ソ連との対立を深めていたアメリカは、1972年のニクソン訪中を契機として、「米中接近」に大きく舵を切りました。その結果、鄧小平の「改革開放」政策が可能となり、中国の経済発展が始まったのです。しかし、「豊かになれば、民主化する」との西側の期待は裏切られ、今ではアメリカ最大の脅威として立ちはだかることになってしまった。
中国を国際社会に招き入れ、超大国化への道に導いた、その張本人であるニクソン自身が、晩年、中国についてこう心情を吐露したのです。
「われわれは恐ろしいフランケンシュタインを作り出してしまったのかもしれない」
いまアメリカの抱く危機感は減少することはないでしょう。
天安門楼上の習主席の両脇には、李克強首相と胡錦濤前主席の姿がありました。しかし、彼らの表情はどうだったでしょうか。どこか浮かぬ顔で、翳りが感じられたのが印象的でした。2人には、強権化し対外強硬に徹する習近平路線に対する危機意識、たとえば「アメリカとここまで対立して、果してやっていけるのか」という内心の不安があり、この機会にそのことを人民にも感じ取ってほしいと訴えかけるかのように私には受け取れました。
さて今回のあの100周年演説を聞いて、「中国恐るべし」という思いを最も強く抱いたのは誰でしょうか。私は、おそらくロシアのプーチン大統領だったのではないかと思います。
今でこそ「中露蜜月」を謳っておりますが、ロシア人は、中国の共産革命を手助けした自分たちが、毛沢東から手痛いしっぺ返しを食らったことを決して忘れていません。1969年には、中ソの国境対立が過熱化してダマンスキー島事件が起き、同年夏には、新疆ウイグル自治区で中国軍と大規模な衝突をしました。毛沢東の威光を借りて過激な姿勢を打ち出す習近平を見て、もしかしたら、習近平も毛沢東ばりに突っ走る気かもしれない、という恐怖を感じたはずです。
逆に、「これはいける」と手ごたえを感じたのは、誰あろうアメリカのバイデン大統領でしょう。今年1月の大統領就任以来、トランプ前政権以上の対中強硬策を打ち出しているバイデンですから、これは奇をてらった見方と思われるかもしれませんが、決してそうではありません。式典の2週間前、スイス・ジュネーブのレマン湖畔で、米露首脳会談が行われました。実質的にさしたる前進はありませんでしたが、冷戦後最悪と言われた米露関係が何とか底を打ち、とりあえず対話ができるレベルに修復したことは確かです。
しかし、より長期的に見ると、大国外交の避けがたいロジックとして、二国間の対立が激しくなると、別の一国との接近が起こります。遅かれ早かれ、当面の懸案を乗り越えて、そうしたダイナミズムが働くのが大国外交の本質だからです。いずれにせよ、米中の対立が深まるにつれ、ロシアは、中国かアメリカのどちらかに接近することになるでしょう。習近平が調子に乗れば乗るほど、不気味なプーチンは、内心最も憎むべきアメリカと手を結ばざるを得なくなるのです。
プーチン大統領
ヒトラーとは根本的にちがう
それにしても、式典の聴衆が整然と座り、習近平の発言に一糸乱れぬ動きで拍手を送ったり、旗を振ったりする光景は、ナチスのニュルンベルク党大会を彷彿とさせました。この分でゆくと、来年の冬季北京五輪は、ヒトラーの催したベルリン・オリンピックの「民族の祭典」を再演するような場になるかもしれません。
では習近平は21世紀のヒトラーなのでしょうか。
新疆ウイグル自治区におけるウイグル族への弾圧を「ジェノサイド(特定民族の虐殺など民族浄化)」と呼ぶ欧米などの報道から、アウシュビッツ収容所における大量虐殺(ホロコースト)を連想する人もいるかもしれません。
中国共産党は、「中華民族多元一体構造論」を掲げ、「中華民族はひとつ」と主張していますが、実態は漢族優位の社会であり、新疆ウイグル自治区においては、「強制収容所」と言われる“再教育施設”に100万人ものウイグル族を収容しているとされています。「人口抑制策」や「言語教育」という名の強制的な民族浄化を行っているとも言われ、これらが事実であれば、中国は国際法で明確に規定されたジェノサイドに手を染めていると言わざるを得ません。ただ、独裁者としてのヒトラーと習近平との間には、根本的な相違点があります。ヒトラーは何といっても「ひらめき」の人です。悪魔的、という修飾語が必要でしょうが、一種の天才であったことは間違いありません。後述する通り、習近平はそうではありません。また、ヒトラーは、ナチス党を自ら作り、ナチズムの思想を築き上げた叩き上げの一大創業者です。ナチズムとは、ただ1人の総統(フューラー)が国家を指導するべきだという強烈なイデオロギーで、このようなことを唱える人は、さすがの習近平体制の中国にも存在しません。
ヒトラーが、ワイマール共和国というリベラルな議会制民主主義のなかで選挙に勝利して首相指名を受け独裁者になりえたのに対し、習近平は党という組織の密室の中で抜擢された党官僚のトップに過ぎません。習近平が独裁的な権力を手にしていると言っても、自分の思想やイデオロギーが民衆の支持を集めた結果ではありませんから、最終的には党組織を無視して権力を揮うことはできないのです。
ナチス党の総統ヒトラー
小物たちの世界
この習近平を20世紀の独裁者になぞらえるとすれば、いかにもよく似ているのがスターリンです。
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source : 文藝春秋 2021年9月号