昭和15年、攘夷の地下水脈の噴出で、日本は後戻りできない道に踏み出した。(構成:栗原俊雄)
保阪氏
ファシズム体制が確立した年
今、日本の政治状況は混迷そのものである。菅義偉政権は専門家集団の警告を振り切って、五輪開催を強行した。その結果、緊急事態宣言の効果は無きに等しく、感染拡大に歯止めがかかっていない。本来なら入院すべき患者が、病床不足で入院できず、医療を受けられぬまま自宅で次々と亡くなっている。明らかに菅首相の判断ミスが続いているにもかかわらず、首相官邸や与党内には良き助言者がいない。また、本来ならここで存在感を発揮すべき野党も、国民にビジョンを示せずにいる。
こうした状況を目の前にして、私たち日本人は「昭和15年」(1940年)という時代を、思い出す必要がある。昭和15年は、政治・軍事・外交・社会における重大な転回点であり、日本におけるファシズム体制が確立した年であるとされる。加えてこの年は皇紀2600年でもあり、皇国史観の臣道実践が日本社会のあらゆる分野にみられた年でもある。
年表的に振り返れば、以下のような出来事があった。
2月 立憲民政党の斎藤隆夫が衆議院で軍部の日中戦争政策を批判。3月に衆院から除名される。
7月 大本営政府連絡会議が「世界情勢の推移に伴う時局処理要綱」を決定。対英米戦争を想定した南進政策を公のものとする。また7月以降、社会大衆党、立憲政友会、民政党など、政党が次々に解体(のちに大政翼賛会に吸収)。
9月 日独伊三国同盟が締結。
10月 大政翼賛会が成立(総裁は近衛文麿)。
11月 皇紀2600年の祝典が5日間にわたって盛大に行われる。
……祝賀ムードが盛り上がる一方で、政党はその機能を停止して行ったことがわかる。
「国家危急のとき、議会で悠長に議論などしている場合ではない。天皇への帰一の下、一致団結して国を動かすべき」という流れが生まれ、異論を唱える政治家は排除され、翼賛体制が固められていく。そして翌昭和16年12月には対米英戦争へと突入してゆくのである。
皇紀2600年に攘夷思想が噴出
現在の状況に、当時と酷似した点がないだろうか。強力な「トップダウン」を求める一方で、そのトップが誤った時に軌道修正できる方策を持っているのか……私たちは歴史に学ばなければならない。
さて、昭和15年を振り返って奇異に思われるのは、突如として「皇紀2600年」という年号が浮上したように見える点だ。
日本は古来「元禄」「安政」といった元号を使用し、ある年を基準として紀元をあらわすことはしていなかったが、維新後の明治5(1872)年、政府は西欧に倣い、神武天皇即位の年を皇紀元年とすることとした。国粋主義団体・玄洋社の設立宣言のように、一部ではこの元号が用いられたが、一般にはほとんど普及しなかった。
それがなぜ、昭和15年に国家を挙げての祝祭が行われるほどの盛り上がりを見せたのか。その背景を読み解くカギとなるのが、本連載でたびたび触れてきた「攘夷」の地下水脈である。
幕末から維新にかけて、薩摩藩や長州藩などを中心に、尊王攘夷の思想が盛り上がりを見せた。幕府ではなく天皇を敬って国の中心とし、かつ外国勢力を討つという思想であるが、幕府が倒れて開国し、新政府が発足する過程で、尊王攘夷を唱えた者たちはむしろ新政府の要職へと吸収されていった。
だが、攘夷のエネルギーは地下水脈化し、その後も日本社会に生き続けた。司馬遼太郎も「日本社会は攘夷の思想を未消化のまま残している。日本社会の地下三尺には、攘夷の思想が眠っている」と評した。山裾から地下水が湧き出るように、攘夷の思想も噴出口を求めて地下を流れていたのである。
とはいえ、攘夷の地下水脈が昭和15年にいきなり噴出したというわけではない。「五・一五事件」や国際連盟脱退などのあった昭和7~8(1932~33)年頃から徐々に噴出が始まり、皇紀2600年というタイミングでピークに達したというのが私の考えである。昭和8年には国定教科書の全面改訂も行われ、「神国日本」が前面に打ち出され、教育のハシラになっていく。しかも軍部が教科書の執筆に参加するようになった。
小学校低学年で「テンノウヘイカハ、ワガ日本テイコクヲオヲサメニナル、タツトイオンカタデアラセラレマス」と教えられ、ひたすら臣民として尽くすよう叩き込まれるようになった。日本人の既存の言論や思想は、攘夷の水脈の噴出とともに徐々に崩壊し、そして戦争へと突き進むのだ。日本型ファシズムが西欧のそれと決定的に違うのは、この点である。
国家のルーツが神話の世界に
ここで、「皇紀」が制定されたいきさつと、「攘夷」が地下水脈化した経緯を振り返っておきたい。
岩倉使節団が国を留守にしていた明治5年11月15日、西郷隆盛や大隈重信らが首脳だった留守政府は太政官布告第342号で「神武天皇即位を紀元と定める」とした。紀元とは、歴史上の年数を数える場合の基準であるが、現代社会で世界的に使われているのは、キリストの誕生を元年とする西暦である。これに対して日本政府は、神武天皇が即位したとされる西暦紀元前660年を独自の紀元(皇紀)としたのだ。太政官布告とは明治初期、政府が公布した法令である。
『古事記』『日本書紀』(記紀)は、高天原から南九州の日向に降った瓊瓊杵尊の曽孫が神武天皇で、45歳の時に日向を出発して東進し、大和(現・奈良県)の平定に成功(神武東遷)し、大和・橿原宮で初代の天皇の位に就いたとされる。古事記によれば137歳、日本書紀では127歳であったとされる。
現代の歴史学では、神武はあくまで神話の世界の存在であるとのコンセンサスがある。また維新当時でも、記紀が伝えるような神武天皇は実在しなかったとの見方があった。しかし、明治政府はあえて神話の世界を国の紀元としたのである。
明治政府は「富国強兵」をスローガンとした。経済活動を活発にして国を豊かにし、軍備を整える、ということだ。前号で指摘したように、日本は欧米のような成熟した資本主義ではなく、軍事と経済が一体化した国家社会主義的体制ではあったが、目指すところは欧米型帝国主義であった。もともとは尊王攘夷を掲げて倒幕に動いたはずの明治政府高官たちにとって、これはリアリズムに徹した政策の選択だった。
しかし、志士たちは尊王攘夷の思想を自己の中で止揚することなく、目先の利害だけで開国したことで、その思想は未消化のまま残っていた。新政府は欧米をモデルとした新しい国造りをしながらも、日本独自の価値観と歴史観を求めており、かつて自分たちが拠り所とした尊王攘夷に再び目を向けた。そのひとつの現れが、皇紀の制定だったとみることができる。諸外国を見て見聞を広めていた岩倉使節団ではなく、国内に留まった留守政府から生まれてきたという点からも、その心理的背景が窺える。
神武天皇陵(奈良県)
軍人勅諭と大日本帝国憲法
攘夷の地下水脈は、明治15年の「陸海軍軍人に下し賜りたる勅諭」(軍人勅諭)にも流れ込んだ。
明治天皇が軍人に直接語りかける形で発表されたこの勅諭は、山縣有朋らが西洋哲学者の西周に命じて起草させた。「我国の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にぞある」との冒頭は、日本の軍隊はもともと天皇が統率してきた、との意味だ。そして、以下のように続く。
「昔神武天皇、躬づから大伴物部の兵どもを率ゐ、中国のまつろはぬものどもを討ち平げ給ひ、高御座に即かせられて、天下しろしめし給ひしより2500有余年を経ぬ。此間、世の様の移り換るに随ひて、兵制の沿革も亦屡なりき。古は天皇躬づから軍隊を率ゐ給ふ御制にて、時ありては、皇后皇太子の代らせ給ふこともありつれど、大凡兵権を臣下に委ね給ふことはなかりき」
神武以来2500年以上の間、兵制はしばしば替わった。時に皇后や皇太子に任せることもあったが、軍隊の統率を臣下に任せたことはなかった、との意味である。さらにこう続く。
「此15年が程に、陸海軍の制をば今の様に建定めぬ。夫兵馬の大権は朕が統ぶる所なれば、其司々をこそ臣下には任すなれ、其大綱は朕親之を攬り、肯て臣下に委ぬべきものにあらず。子々孫々に至るまで篤く斯旨を伝へ、天子は文武の大権を掌握するの義を存して、再中世以降の如き失体なからんことを望むなり。朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。されば朕は汝等を股肱と頼み、汝等は朕を頭首と仰ぎてぞ、其親は特に深かるべき。朕が国家を保護して、上天の恵に応じ、祖宗の恩に報いまゐらする事を得るも得ざるも、汝等軍人が其職を尽すと尽さざるとに由るぞかし。我国の稜威振はざることあらば、汝等能く朕と其憂を共にせよ」(傍点筆者)
以前のような、武士階級が大権を私議するかの如き失態なきように望む。軍はこの国の神兵として国を支え、天皇制の骨格となる。そして朕はお前たち軍人を統率する大元帥である、と高らかに宣言したのだ。
さらに明治23年11月29日に施行された大日本帝国憲法は、第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めている。神武の血統に連なる天皇が国を統治するとの宣言だ。記紀の記述も「万世一系」も、史実として立証可能なものではない。だが、明治政府は欧米型帝国主義の近代国家を目指しながら、日本国のルーツを神話の世界に求めたのである。こうして地下水脈化した攘夷の思想が、のちに噴出することになるのである
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