唯一、2勝以上勝ちこしているベテランが秘策を明かす
深浦氏
「地球代表が深浦だ」
いま将棋の世界の中心にいるのが藤井聡太さんだということは、皆さんもご存じでしょう。先日、将棋界最高峰のタイトル「竜王」を奪取して、史上最年少、初の10代での4冠に輝きました。相手の豊島将之さんもトップ3に入る実力者なので、きっと競り合う内容になると思っていたのに、まさかの4連勝。これには私も驚きました。
プロデビューして30年、中原誠先生や米長邦雄先生、谷川浩司さん、羽生善治さんといった名だたる棋士と対戦してきた私から見ても、特筆すべき才能だと思います。
将棋ファンのなかには、かつて全タイトルを独占していた羽生さんと、藤井さんをならべて「将棋星人だ」と言う人もいるそうです。あまりに人間離れした強さなので、同じ星に生まれたとは思えないということでしょう。それは分かりますが、その2人に続いて、私の名前が挙げられていると知り、ビックリしました。
「羽生や藤井が将棋星人なら、地球代表が深浦だ」
初めて聞いたときは「地球代表ってどういう意味なの?」と、クエスチョンマークがたくさん頭に浮かびましたが、将棋星人に対抗できる地球人の代表ということだそうです。
私と藤井さんの対戦成績は3勝1敗。藤井さんに2勝以上、勝ち越している棋士は私だけなので、それをファンの皆さんも「地球代表」という言葉で評価してくださっているのでしょう。
もうすぐ50歳になる私が、なぜ若き第一人者の藤井さんに勝てるのか。職業上の秘密なのですが、少しだけ明かしてみましょう。
史上最年少4冠を達成した藤井聡太
藤井聡太が強いから勝てた
2021年10月、NHK杯将棋トーナメントで、私は藤井さんを破って3勝目を挙げました。
このときSNS上で「地球代表」という言葉が、ランキング入りするほど、たくさん飛び交ったそうですが、私が藤井さんに勝てた理由は一言で言えます。それは、
「藤井さんが強いから」
どういうことか説明しましょう。
藤井さんはデビューした時からかなり完成していて、攻撃も、防御もスキルが高かった。さすがに最初は多少のスキもありましたが、今では弱点が見当たりません。堂々たる大棋士です。
ここまで成長したのは、自分で自分に厳しい課題を与え、それを突き詰めていったからだと思います。棋士の世界には師匠こそいますが、塾の講師のように、手取り足取り教えてくれるわけではありません。どんな戦法を採用するのか。序盤から終盤のうち、どの局面の力が足りないのか。それら全てを自分一人で考えなければいけないのですが、藤井さんはそれができている。
藤井さんの場合、相手の王様を追い詰める終盤の力は、以前から相当なレベルでした。小学生のとき、大人も参加する詰将棋の全国大会で優勝したほどで、土台がしっかりとできていた。
そこで彼は次の課題として、序盤の力を磨くことにしたのでしょう。これまでの対局を見ていると、藤井さんは、「この戦型をマスターしよう」と決めて半年ぐらい同じ型を繰り返し、特徴を理解したと思うと、別の戦法の探究を始める。
感心するのは、自分の好き嫌い、向き不向きではなく、まんべんなく戦型を探究しているところです。その結果、いまは色々な戦型をこなせるようになりました。
また、メンタル面で成長したことも大きい。4冠になった竜王戦には、いつも以上に注目が集まっていました。大きな重圧がかかる大舞台でどう戦うのか、私も気になっていましたが、いつもの対局のように自分のペースを終始、保っていたように見えました。
これが簡単なことではないことは、私も経験上、知っています。私が初めてタイトルに挑んだのは25年前。24歳で王位戦に挑みました。相手は7冠時代の羽生さん。「強敵に勝ってタイトルを取りたい」という思いが先走り、気持ちがたかぶって指し手が乱れてしまいました。結果は1勝4敗と惨敗です。
しかし藤井さんは、そうした気持ちの波を抑え込んで、盤面に集中していたのでしょう。
藤井聡太と対局する深浦
最善手を指しつづけた藤井
このようにスキのない藤井さんですが、NHK杯での対局前、私は周到に戦略を練りました。
この対局では、私は主導権を握りやすい先手番だったので、自分が得意な「雁木」と呼ばれる戦法をぶつけてみようと決めました。
藤井さんは、序盤で角を交換する「角換わり」や、飛車の機動力が特徴の「相掛かり」といった、序盤から1手のミスが命取りになる激しい戦法が得意です。しかし「雁木」は藤井さんの得意な型ではありません。
事前にAIを使って「雁木」戦法の展開を、かなり先まで研究しましたが、実際の対局も想定通りに進みました。だから序盤から藤井さんが持ち時間を使ったのに対して、私はほとんど時間をかけずに指し進めることができました。
中盤、私は藤井さんの陣地に一気に攻めこんだのですが、このとき私は、将棋界では指されたことのない新しい手をぶつけました。過去に指された形だと、藤井さんも想定していると思ったからです。
その新しい手への対応には驚いた。藤井さんも初めて見る形のはずですが、そこから30手ほど、私の事前研究のときにAIが示した最善手と同じ手を指してきたのです。短い対局時間の中でAIと同じように先を読み、正解を導き出したわけです。完全に私の想定通りに展開するものですから、心の中で「これは凄い」と感嘆していました。
ただ、その結果、私は勝つことができたのです。相手が深く研究している展開になりそうだと察知したら、あえて最善手ではない手を指して、展開を変えようとするケースは少なくありません。そうなると、こちらも次の手を考えるために持ち時間を費やすので、焦りやミスが生じる可能性が高くなる。
しかし藤井さんは、そうした実戦的な駆け引きよりも、100点満点に近い手を、自分の力で考えたいという思いが強いのでしょう。藤井さんが最善の手を指し続けたので、事前研究の成果もあって、それに私は的確に対応することができました。一方、藤井さんは次第に持ち時間がなくなり、そこで生じたスキを私がついて、勝利することができた。藤井さんが最善手を続けたからこそ、私が勝てたと言えるでしょう。
「冠」で歴史に名前を刻む
私はタイトル戦や、藤井さん、羽生さんといった強敵との対局になると、いつもよりエネルギーが湧いてきます。下馬評では劣っていても、それを撥ねのけて勝ちたい。そんな気持ちが湧いてくるんです。
こうした思いは、私の20代の頃の経験からきています。私が6段の頃ですから、もう20年以上も前の話ですが、私と羽生さん、そして新人王戦を2連覇し、のちに名人まで上り詰めた強豪の丸山忠久さんの3人が、将棋のイベントに参加したことがありました。その時点で通算勝率が7割を超えていた若手棋士がそろって呼ばれたわけです。
このとき羽生さんはすでに7冠を達成していたので、2人は「7冠の羽生さんです」「新人王を獲得した丸山さんです」と紹介される。しかし私だけタイトルを獲っていないので、「勝率7割超えの深浦」と紹介されたのです。
勝率が高いのは誇らしいことではありますが、やはり将棋の世界はタイトル獲得や大きな棋戦で優勝することで、初めて歴史に名前が刻まれる。その「冠」が欲しかった私は30代に差しかかった頃に、将棋人生の方向転換をしました。
格下相手でも着実に勝ち星を挙げるより、いかにトーナメント戦を勝ち上がって強敵を倒すか、という点に力を注ぐようになったのです。
「冠」を獲るには、羽生さんは避けて通れない相手です。しかしタイトルホルダーの彼に挑戦するまでには、佐藤康光さんや森内俊之さんといった、「羽生世代」の厚い壁がある。そうした方々に勝つために、自分に足りないものは何かを見直して、たとえば終盤の競り合いに磨きをかけたり、相手に合わせた作戦を入念に練ったりするようになりました。
トーナメント戦で勝ち進めば強豪との対戦ばかりになるので、全体の勝率は落ちていきます。それでもタイトル戦に準備の比重を置いたことで、2007年、私は35歳で初タイトルの王位を、羽生さんから奪うことができました。羽生さんのリターンマッチとなった翌年の王位戦でも、防衛に成功。そうした強敵との戦いが増えたことには、大きな充実感がありました。
藤井さんとのNHK杯戦では攻めて勝てましたが、もともと私の将棋は、「簡単に土俵を割らない二枚腰の粘り」が特徴だと言われます。
なかなか投了(自分の負けを宣言すること)しないのは私の性分ですが、相手に「この人は簡単には諦めてくれない」と思わせておくことも重要です。何十回も同じ人と対戦するのがプロの世界。1度でもあっさりと負けを認めてしまうと、相手から舐められてしまうのです。粘り強さを出すために、対局の朝には必ず、納豆と生卵を食べることにしています(笑)。
17年の叡王戦で藤井さんと対局したときも、粘りが実って逆転勝ちをおさめました。あのとき私は、序盤、中盤で形勢をかなり悪くしていました。それでもギリギリのところで彼に決め手を与えず、粘り続けてようやく追いついた。藤井さんが最多連勝記録の29連勝を成し遂げた後のことでもあり、あれだけの逆転負けは、藤井さんの将棋では珍しいケースでした。
屈辱に甘んじても逆転を狙う
ひとくちに「粘り」と言っても、いろいろな要素があります。粘るための前提として、まずは形勢不利に陥っている自分の状況を、素直に認めなくてはなりません。たとえ1手分の僅かな差であったとしても、将棋は先に詰まされた方が負け。「このままお互いに攻めを続けたら、先に自分の王様が詰まされてしまう」といった後々の展開を読む必要があるわけです。
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source : 文藝春秋 2022年1月号