「世界のホンダ」創業者であり、カリスマ経営者だった本田宗一郎(1906~1991)。元ホンダF1総監督の桜井淑敏氏は本田の薫陶を受け、数々のエンジン開発に取りくんだ。
桜井氏
「これは普通じゃないな」
最初に会った時、本田宗一郎の眼を見てそう感じました。たしか、入社直後の社員研修だったと思いますが、本田が現れて、いきなり「お前たち、ホンダが何をやっているのか知ってるか?」と聞いてきた。みんながシーンとしていると、「ここは人間を研究するところだ。なぜなら人間のことを分からない奴にいい商品は作れない」と言い放った。笑顔を浮かべていても、絶対に眼は笑わない。「ああ、この人には嘘はつけないな」と、その時に思いましたね。
私が25歳のとき、当時のホンダは、世界一厳しいと言われた米国の排ガス規制法をクリアするために、低公害エンジン「CVCC」の開発に取り組んでいました。私はその設計チームのリーダーを任された。実現の見込みはなく「一か八か」という意味で社内では「イッパチ」グループと呼ばれていました。
本田は毎日必ず午後4時になると「どうだった?」と結果を聞きに研究所に顔を出す。我々が「今日も駄目でした」と言うと、すぐに「うーん、じゃあ、明日はこういうのをやってみよう」とその場に座り込んで、床に白いチョークで漫画みたいなエンジンの絵を描いて帰っちゃう。残った我々は、翌日には結果を報告しないと本田に怒られるわけですよ。
だからみんな必死になって、その漫画絵の意味を理解して、それを元に設計図を書く。一晩かけて材料を調達して、溶接して、新しいエンジンを作りあげるんです。普通は3週間かかるところを半日でやっちゃう。そんな生活を半年間続けました。
ある日は、本田が「シリンダーの中の空気をかき回してみよう」と言い出した。それには空気を注入するための大型ポンプが必要で、夜を徹して東京中を探し回りました。結局、大森に自衛隊の仕事を請け負う町工場があって、所有していることを突き止めた。嫌がる工場の社長に「日本のために」なんて言って、急遽1日だけ貸してもらいました。
でも、全然ダメでね。翌日、結果が楽しみで、意気揚々と研究所に現れた本田に「また駄目でした」と告げましたが、傍らにあった大型ポンプを見て「こいつらは徹底的にやるんだな」と感心している様子でした。
苦境の中にあっても、本田は絶対に諦めない。頭の中がカーッと回転していて、次々と新しいアイデアを思いつくんです。私たちも苦しいと感じたことは一度もなくて、何かお祭りのような、本田宗一郎という神輿を担いでテンション高く開発している感じ。本田はそういうムードを作るのが非常に上手かったですね。
本田宗一郎
最終的にCVCCを開発できた時には、本田も大喜びして「お前たち、これから銀座に行って飲めるだけ飲んでこい」と言ってくれた。今のお金にすれば、一晩で800万円は使いました(笑)。
実は、CVCCの開発の最中に、忘れられない出来事がありました。
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source : 文藝春秋 2022年1月号