緊急寄稿 私が目指す「新しい資本主義」のグランドデザイン

岸田 文雄 内閣総理大臣
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岸田氏

1.今こそ資本主義のバージョンアップが必要

 私の提唱する新しい資本主義に対して、何を目指しているのか、明確にしてほしいといったご意見を少なからずいただきます。

 この寄稿では、このような声にお答えすべく、私が目指す新しい資本主義のグランドデザインについて、お話をしたいと思います。

 私たちは、資本主義社会に生活しています。人類が生み出した資本主義は、市場を通じた効率的な資源配分と、市場の失敗がもたらす外部不経済、たとえば公害問題への対応という、2つの微妙なバランスを常に修正することで、進化を続けてきました。そして、長きにわたり、世界経済の成長の原動力となってきました。

 20世紀半ばの福祉国家に向けた取り組み、その後の新自由主義の広まりは、いずれも、そうした資本主義の修正、そして資本主義の進化の過程の一つです。

 市場や競争に任せれば全てがうまくいくという考え方が新自由主義ですが、このような考え方は、1980年代以降、世界の主流となり、世界経済の成長の原動力となりました。他方で、新自由主義の広がりとともに資本主義のグローバル化が進むに伴い、弊害も顕著になってきました。

 市場に依存しすぎたことで格差や貧困が拡大したこと、自然に負荷をかけ過ぎたことで気候変動問題が深刻化したことはその一例です。

 欧米諸国を中心に中間層の雇用が減少し、格差や貧困が拡大しました。

 国民総所得に対する雇用者報酬、賃金支払総額の割合を示す労働分配率をみると、米国等の先進国では趨勢的に低下傾向にあります。日本は50.5%(2000年)から50.1%(2019年)でほぼ横ばいですが、米国では56.4%(2000年)から52.8%(2019年)へ、ドイツは53.4%(2000年)から52.3%(2019年)へと減少しています。

 そして、1980年から2016年にかけて世界の所得階層別の所得の伸びをみると、最も豊かな1%の人々が、世界全体所得の伸びの27%を獲得しており、新興国が発展する中で、先進国の中間層の所得は抑えられてきました。

 また、自然に負荷をかけ過ぎたことで、気候変動問題などの環境問題が深刻化しました。記憶に新しいところでも、昨年7月の熱海市の土石流災害をはじめ、各地で被害が発生しています。

 短期的な効率化重視の企業経営にも限界が現れています。コロナ禍において、我が国は国民生活に不可欠なマスクでさえ国内で供給できないリスクに直面しました。また、足下では半導体不足によって、車やゲーム機などの生産まで滞る事態が発生しています。効率性を追い求めすぎたゆえに、サプライチェーンやインフラの危機に対する強靱性(レジリエンスと言います)が失われてしまっているのです。

 私は、アベノミクスなどの成果の上に、市場や競争任せにせず、市場の失敗がもたらす外部不経済を是正する仕組みを、成長戦略と分配戦略の両面から、資本主義の中に埋め込み、資本主義がもたらす便益を最大化すべく、新しい資本主義を提唱していきます。

 資本主義が課題に直面する一方で、世界を見回すと、権威主義的国家を中心とする国家資本主義とも呼べる経済体制が勢いを増しています。貧困や格差拡大による国内での分断によって民主主義が危機に瀕する中で、国家資本主義によって勢いを増す権威主義的体制からの挑戦に対し、我々は、自ら資本主義をバージョンアップすることで対応するしかありません。

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2.「人」重視で資本主義のバージョンアップを

 私は、世界的課題となっている分断や格差を乗り越える資本主義をわが国で実現したいと考えています。かつての福祉国家、新自由主義といった資本主義に対する進化の動きは、いずれも欧米発の動きでしたが、今回の進化については、わが国が世界をリードしたい、そして、できると考えています。

 なぜならば、わが国には、世界に誇るべき協働・絆を重んじる文化と伝統があるからです。昨年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一の主著に、「論語と算盤」があります。このなかで渋沢は、企業の目的が利潤の追求にあるとしても、その根底には道徳が必要であり、国ないし人類全体の繁栄に対して責任を持たなければならないとして、「道徳経済合一説」を早くも大正5年に唱えています。

 さらに遡ること、江戸時代。近江の国(現在の滋賀県)に本店を置き、他国へ行商して歩いていた近江商人には、後世に「三方よし」と呼ばれるようになった有名な経営理念がありました。「売り手によし、買い手によし、世間によし」、すなわち、商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえるという考え方です。

 実は、これらの日本が育んできた企業経営の伝統は、欧米で始まっている新しい資本主義の模索の動きを先取りするものでした。企業は、株主だけでなく、従業員、顧客・取引事業者、地域社会といった多様な利害関係者(ステークホルダー)の利益を考慮すべきとする、マルチステークホルダーの考え方です。

 なぜ、株主利益だけを追ってはいけないのか。産業革命以来の古い資本主義においては、企業が生み出す価値の源泉は、主に工場などの物的な資産でした。ですから、お金を出してくれて工場を所有する株主の権限に基づき、株主が経営者をどう監視するかが企業統治(コーポレートガバナンス)の課題でした。

 しかし、私たちが生きている現代の企業は、デジタルトランスフォーメーション(DX)、グリーントランスフォーメーション(GX)といった大きな変革の波の中にあり、この荒波の中で、創造性を発揮するためには、工場などの「物」よりも、相対的に「人」の重要性が大きくなり、「人」が価値の源泉になります。

 人的資本を大切にしない経営では、長期的に企業価値を最大化することが困難となり、かえって長期的に株主に還元を行うことが困難になってしまいます。そこで、私の新しい資本主義では、その鍵を「人」、すなわち人的資本に置くことにします。「モノから人へ」が、新しい資本主義の第一のキーワードです。

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3.何よりも大切なのは人への投資

 かつての日本的経営は、人本主義とも呼ばれ、人を大切にする経営が日本のお家芸であり、そのもとでジャパン・アズ・ナンバーワンとも呼ばれた世界的な競争力を作り上げてきました。残念ながら近年、このかたちが崩れつつあります。温故知新で、私は、この点の改革をまず挙げたいと思います。

 我が国の企業の人材への支出(OFF-JTの人材養成費)は、今や、対GDP比で0.10%に留まり、米国の2.08%やフランスの1.78%、ドイツの1.20%に比して、後れを取っているだけでなく、ここ数年、更に低下傾向になっています。これではデジタル時代に際し、基礎的な知識の習得が不十分になってしまいます。

 日本企業の成長の制約を打破し、また分配面で今の子供世代、すなわち将来の現役世代に対する安定的な所得の確保に支障が生じることがないよう、人的資本への投資を抜本的に強化すべきです。政府としては手始めに、3年間で4000億円規模の施策パッケージを新たに創設し、非正規雇用の方を含め、能力開発支援、再就職支援、他社への移動によるステップアップ支援をおよそ100万人程度の方に講じることとします。従業員、経営者、教育サービス事業者など一般の方から募集したアイディアも反映して、良いものにしていきたいと考えています。

 すでに、従業員の方からは、「スキル習得のための休暇取得の際の賃金を企業に助成してほしい」「様々な分野を短時間で学びたいので支援してほしい」、経営者の方からは、「自社が大学・高等専門学校に従業員向けのコースを設置する場合に助成してほしい」といった声が寄せられています。

 賃上げも「コスト」ではなく、未来への「投資」であり、人的資本への投資の重要な構成要素です。

 最近の春闘の結果は、2019年に2.18%、2020年に2.00%、2021年は1.86%と賃上げ率が低下傾向にあります(厚生労働省の統計)。このように、低下傾向にある賃上げの水準を一気に反転させ、新しい資本主義の時代にふさわしい賃上げが実現することを期待したいと思います。

 労働力をコストと捉え、人件費の抑制によってわずかな収益を確保するという経営は、新しい資本主義における企業の理想像ではありません。優れた人材が生み出すイノベーションによって社会の課題を解決して、人への投資に見合った利益を実現することが、新しい資本主義が目指す成長と分配の好循環を実現する鍵です。

 人的投資は単年度で見るとコストかもしれません。しかし、長期投資の視点で見ると、きちんと人材に投資していること、きちんと賃金を支払うことは、企業の持続的な価値創造を行うことになるので、これは明らかに投資であり、成長戦略なのです。

 私の提唱する新しい資本主義について分配ばかりとの指摘が散見されますが、分配戦略による人への投資こそが成長戦略でもあることを指摘しておきたいと思います。新しい資本主義の時代は、費用としての人件費から、資産としての人的投資に変わる時代です。

 最後に、人が資産であるというならば、この点を各企業がそれぞれの株主に理解してもらうことが不可欠になります。私は、そのための意思疎通の手段の強化が必要と考えます。財務的な指標に表れない非財務的な情報の見える化です。

「人」に価値があるならば、それを企業会計の枠組みの中で可視化することで、人的資本の蓄積が進むことになります。非財務情報について金融商品取引法上の有価証券報告書の開示充実に向けた検討を、すでにお願いしている四半期開示の見直しの検討に加えて、金融審議会で専門的な検討をお願いします。さらに加えて、このような法的な枠組みの整備だけでなく、個々の企業が自分の判断で開示する場合も含めて、人的資本の価値を評価する方法についても、各企業が参考になるよう、専門家に研究いただき、今夏には、参考指針をまとめていただきたいと思います。

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4.新たな「官民連携」で付加価値を引上げていく

 日本企業は、戦後、その卓越した技術力と創造性を背景に、革新的な新製品・新サービスを開発し、世界に拡げてきました。デジタル時代に不可欠なデンソーの開発によるQRコード、アップル社のモデルの先がけとなったソニーのウォークマン、世界初の量産型ハイブリッド車であるトヨタのプリウス、オムロンが開発した駅の自動改札機、ホンダが先鞭をつけたカーナビ、日清食品のカップラーメン、さらにはドコモが開発した携帯の絵文字。いずれも日本企業が開発し、世界市場に広がったものです。

 ところが近年、新製品や新サービスを投入した企業の割合は、日本の場合、製造業9.9%、サービス業4.9%にとどまり、ドイツ(製造業18.8%、サービス業9.0%)や米国(製造業12.7%、サービス業7.6%)の後塵を拝するようになりました(OECD、2012年-2014年)。この結果、コストの何倍の価格で販売できているかを示すマークアップ率を見ると、米国は1.8倍、英国は1.7倍でさらに上昇し続けているのに対し、日本は1.3倍でトントンの販売価格になっており、かつ低迷しています。

 付加価値の高い製品やサービスを生み出し、高い売値を確保し、高いマークアップ率を獲得できる企業・産業構造を創らなければなりません。そのために、単に市場や競争に任せてしまうのではなく、官民が、それぞれの役割を果たしながら、協力してその構造を作り上げること。これが、私が考える新しい資本主義の下における成長戦略の目標です。「モノから人へ」に続く、新しい資本主義のキーワードは「官民連携」です。

 分配、分配と言うだけでは、分配するパイがなくなってしまいます。私は、今の現役世代に対する分配だけでなく、今の子供世代、すなわち将来の現役世代に対する分配にも責任を負っています。分配の原資となる成長も、成長の基礎となる分配も、その実現を目指す。これが、私の言う成長と分配の好循環です。高い付加価値を生み出すため、まずは国と民間が共に役割を果たし、科学技術、経済安全保障、デジタル、気候変動などの分野に大胆な投資を行うとともに、先ほど申し上げたとおり、人への投資を強化していきます。

 そして、マルチステークホルダーの考え方に従うと、公正取引委員会などによる競争政策の重点も変わってきます。これまでは、合併などにあたって、マーケットに占める占有率がどうなるかといった規制(これを水平的規制と呼びます)に重点がありました。市場が県域を越え、グローバル化するなかで、相対的には、水平的規制の重要度が弱くなります。

 新しい資本主義では、従業員と並ぶ価値創造のパートナーである取引先との関係の適切性(これを垂直的規制と呼びます)の重要度が増してきます。下請企業との取引に際して適正なコストの転嫁を認めているか、デジタルプラットフォーム企業と取引先の関係、大企業とスタートアップやフリーランスとの関係で、優越的な地位を利用して不適切な関係を強要していないかといった論点です。新しい資本主義の時代にふさわしい公正取引委員会の体制強化を図っていきます。

 また、コロナ禍で、フリーランスの方々に大きな影響が生じています。フリーランスとして安心して働ける環境を整備するため、事業者がフリーランスと契約する際の、契約の明確化や禁止行為の明定など、フリーランス保護のための法律を国会に提出します。

5.スタートアップが日本を救う

 付加価値を上げるために、私が期待しているのが、スタートアップです。

 付加価値の高い革新的な製品やサービスを生み出すためには、新たな企業を生み出し続けるエコシステムを日本に根付かせることが重要です。イノベーションは、創業からの年数が短いほうが起きやすいとの研究もあります。若い世代の皆さんに次々にスタートアップ企業をトライ・アンド・エラーで起業していただくことは、間違いなく、日本が生み出す付加価値の増加に貢献します。

 そういった若い世代を私は徹底的に応援します。革新的な新製品・新サービスを開発し、世界に拡げてきた企業を紹介しましたが、実は、ソニー、ホンダ、日清食品といった企業は、いずれも終戦の1945年から10年の間に、焼け野原から立ち上がって創業した企業です。それだけでなく、現在でも日本の上場企業の構成を見ると、終戦から10年の間に創業した企業が119社と最も大きな山を形成しています。

 言い換えると、それ以降設立された企業がメジャーになっていないということです。翻って、米国では、上場企業の最大の山は、最近の1995年から2004年に創業した企業が124社と最多で、新しい企業が成長しています。アマゾンや旧称フェイスブックがそうです。

 官民が連携して、日本でも、終戦後に続く、第2の創業時代をつくろうではありませんか。

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source : 文藝春秋 2022年2月号

genre : ニュース 政治 経済 オピニオン