最近の出版界には好もしい潮流が見られる。いまいちど読み返してみたい、これまで読まずにいた、そんな名品をアンソロジーや選集に編んで次々と文庫化するようになった。
新しい著者が手がける新刊は未知の魅力に溢れている。だが、期待を裏切られることも珍しくない。その点、時の風雪に耐えて生き残った著作には、故宮博物院やルーブル美術館の収蔵品を鑑賞するような信頼感がある。しかも、決まって新たな発見がある。開高健の『葡萄酒色の夜明け』や『金子光晴を旅する』といった文庫本は、新たなダイヤモンド鉱脈にわれわれを誘ってくれる。
大岡玲が編んだ『開高健短篇選』には珠玉のような掌編が多数収められており、福袋を開けるような楽しさに満ちている。なかでも「玉、砕ける」は、中国の強権体制が一層露わになりつつあるいまこそ読まれるべき作品だと思う。
香港の垢すり屋から渡される「垢の玉」は、いままで身に着けていた「自分のシャツ」だという。開高健は、その「垢の玉」が砕けるさまを文化大革命で悶死した老舎に重ねあわせて描いて哀切だ。
「白か、黒か」「右か左か」「有か無か」。「どちらか一つを選べ」と言われ「選ばなければ殺す。しかも沈黙していることはならぬ」と命じられ、「どちらも選びたくなかった場合、どういって切りぬけたらよいか」——そんな問いを香港に住む中国人の友に投げかけてみる。それは老舎に刃のように突きつけられた命題でもあった。
「それは東京では冗談か世迷事と聞かれそうだが、ここでは痛切な主題である」
ジャーナリストでもある友は東京から香港に立ち寄った老舎にインタビューしたことがあった。だが老作家は実のある話をしようとしない。
「重慶か、成都か。どこかそのあたりの古い町には何百年と火を絶やしたことのない巨大な鉄釜があり、ネギ、白菜、芋、牛の頭、豚の足、何でもかでもかたっぱしからほうりこんでぐらぐらと煮たてる」
人びとは鉄釜の周りに群がり、柄杓で汲みだして食らいつく。そんな庶民の表情を老舎は「微細、生彩をきわめて語り」、消えていった。
開高健はかつて北京の自宅に訪ねた老舎をこの作品で心から悼んだ。彼を見舞った悲運はいま香港の知識人に襲いかかろうとしている。
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