受賞のことば 砂川文次
どうして物を読み、書いているのか未だに分かっていない。分かる日が来るのかもわからないけれども、ただなんとなくそんな日はこないんじゃないだろうか、という予感を肌で感じている。一方で、今自分がいる場所は、そういう風にして分からないながらも物を読んで、書いて、読まれて、他にも種々の作用や反応の集積として形成されていることだけは確かだ。どうも不思議なことに、私にとってはこういう有象無象の分からなさが書くことを支えているらしい。この「分からなさ」は、しかしクーラーがどうして冷気を吐き出すのかとかどうしてあの人は泣いているのか等々をそのまま放っておくことの対極にある気がする。私は、私の分からないものを、分かる望みがなくとも希求していきたいと思っている。
〈略歴〉
1990年生まれ。2016年「市街戦」で第121回文學界新人賞を受賞してデビュー。元自衛官で、現在は地方公務員。
砂川氏
「書くことと従軍経験は、バッチバチに近い」
――自衛隊に勤務していたというご経歴が、意外性もあって話題になっています。
砂川 意外ですか。私は書くことと従軍経験は、バッチバチに近いと思っています。太古の昔でいえばプラトン。ヘミングウェイもそう。サン=テグジュペリは操縦士として戦死しているし、オーウェルもスペイン内戦に参加している。日本でも司馬遼太郎さんは戦争中、戦車隊にいたし、浅田次郎さんは自衛隊に在籍なさっていました。
――なぜ入隊したのですか。
砂川 単純に入りたいから入ったという感じです。周囲に自衛隊員がいたわけではないのですが、中学生の頃から漠然と憧れがありました。その思いが強くなったのは高校生のとき、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでからです。ご存じのように揃って軍で活躍した、松山出身の秋山兄弟の話です。
ウチは金持ちではないし、明治時代の薩長土肥出身のような縁故もない。だから社会に出るなら高等文官試験に通るか、軍人だ! という感覚が、『坂の上の雲』を読んで、するっと体に入り込んできた。自衛隊にしたのは、身体的な強さも感じるし、財産なんか関係なく、平等に扱ってくれるのではないか、という印象があったからです。
それで防衛大を受験しましたが、補欠合格で、枠が回ってこなかったから普通の大学に進み、卒業後に入隊しました。陸海空の中で一番かっこいいと思って、陸上自衛隊を選びました。いまでもよく覚えていますが、平成24(2012)年3月25日が大学の卒業式で、翌日の26日、福岡県久留米市の前川原駐屯地という所にある陸上自衛隊幹部候補生学校に着校しました。
――入隊のとき、なにか本を持っていきましたか。高校生のころは司馬遼太郎、大学時代には安部公房にのめりこんで、そこからカント、フッサール、ベルクソンなどの思想書を読んでいたと聞きました。
砂川 死ぬほど持っていきました。司馬遼太郎は読みつくしていたので、安部公房の本を何冊も。入隊後も、たまの連休には久留米から博多へ行って、大型書店で本を補充していました。
安部公房が好きなのは、言語のパワー、要するに虚構だけで、物事の関係性を反転させるところです。体に触れられないまま頭を揺さぶられる感覚を味わえる。安部公房からシュールレアリスムに行き、そこから思想へ行って、今に至る感じです。
一方で現実感のある小説も好きですね。村上龍さんのような、生身の感覚に訴えるような小説も、別の意味で揺さぶられる。
自衛隊で感じた心地よさ
――自衛隊生活はどうでしたか。
砂川 めっちゃ楽しかったですね(笑)。私のような一般大学出身も防衛大出身も一緒に入校して、9ヶ月間を過ごすのですが、運動部の合宿が続いているようなものです。昼は戦史などの座学や戦闘動作の訓練などをこなすわけですが、そうした課業が終わると、16人部屋でバカな話をしたり。
ただ独りになったときは、サン=テグジュペリの『人間の土地』をよく読んでいました。学校生活は楽しかったけど、「東京に帰りたい」「山や草はもういい。ビルを見たい」と思う時もあって、そんなとき『人間の土地』を読む。心に染みました。
――飛行士としての経験をつづったエッセイ集ですね。ところで座学はともかく、実技は大変ではなかったのでしょうか。砂川さんは身長181センチと大柄ですから、運動能力も高い印象ですが。
砂川 幹部候補生学校では長距離走が多かったです。入学して2、3ヶ月は防大や運動部出身者が秀でているけど、だんだん差が縮まって、卒業時には「ほぼほぼイコールかな」という具合でした。
長距離といえば、学校から近くの高良山の山頂までの山道を5、6キロ走る伝統行事があって、その歴代トップのタイムは円谷幸吉さん。誰も塗り替えられない(笑)。じつはこのタイムを出す前に、円谷さんは試走していたという伝説が、学校では連綿と語り継がれています。つまり試しに山頂まで走って、戻って、3本目のタイムが歴代トップ。
――受賞作では集団の人間関係の機微が丁寧に書きこまれています。自衛隊ではどうでしたか。
砂川 この学校では同期同士は驚くほど平等でした。1人か2人、どの課目でも非の打ち所のないヤツがいるもので、防大出身者はそんなスーパーマンを「デキっ子」と言ってました。逆に何やらせてもダメダメなヤツは「ダメっ子」。中学や高校ですと、そこでヒエラルキーができるのでしょうが、それがなかった。
なぜなら「デキっ子」でもミスることはあって、そのとき必ず誰かがサポートする。みんな一蓮托生の関係になるから、教官から常に「同期の中で上下を作るな」と言われていましたが、言われなくても自然に誰が上といった感覚が消えていく。そうした心地よさがありました。
週末にタバコを吸いながら
――小説を書き始めたのは、この時期だったのでしょうか。2016年のデビュー作「市街戦」は、自衛隊の幹部候補生が主人公です。
砂川 いえ、もっと後です。
幹部候補生学校を卒業した後は北海道・帯広の4連(第4普通科連隊)で隊付教育(研修)を受けて、私はそのまま帯広の第1対戦車ヘリコプター隊に配属されました。その後、正式に3等陸尉に任官され、航空科の幹部初級課程に進むため、三重県伊勢市の明野駐屯地にある航空学校へ着校しました。
小説を書くようになったのは、それからです。何か明確なきっかけがあったわけではありません。じつは大学生のとき『坂の上の雲』の刷り込みがあって少し書いていました。世に出るなら軍人か官僚。そうでなければ文士だと思っていたので。主人公の秋山兄弟は軍人ですが、弟の親友は正岡子規ですから。
でも、学生の時は上手く書けなかった。それが明野に来て、ようやく「書こう」と決めたのです。どうしてそう思ったのか自分でも分かりません。何かがモヤモヤしていたのは確かですが。今もなぜ書いているのかよく分かっていないので、当然、なぜ書き始めたのかも分からない。
元陸上自衛隊員でヘリコプター操縦士
――執筆は勤務後ですか。
砂川 いえ。寮生活で平日は外へ出られないから、書くのは土日でした。PCを持って駐屯地を出て、1時間ほどかかる伊勢市駅そばの、スーパー銭湯に併設されたバカでかい駐車場の一角にあるチェーンのコーヒー店に入って、4人掛けのボックス席に座り、タバコを吸いながら、しこしこ書いてました。
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source : 文藝春秋 2022年3月号