長寿地域が崩壊している。健康長寿を延ばす“知識のワクチン“。
長寿地域は永遠ではない
私はこれまで、WHOの支援を受けて約40年にわたって世界25か国61の地域を訪れ、食と健康の関係を研究してきました。
世界にはさまざまな長寿地域や短命地域がありますが、実際にその地域を訪れ、現地の方のまる1日分の尿を採って食べているものを分析し、健診をして健康状態を知ることで、食と健康・長寿の関係を明らかにしてきたのです。
その結果、健康寿命を損なう大きな原因である脳卒中や心臓病、認知症は食事で予防できること、食によって健康寿命が延ばせることがわかってきました。そして、長寿・短命に大きな影響を与える4つの食品が、塩・魚介類・大豆・ヨーグルトであるということを、前回の連載でご説明しました。
今回は、これまで私が訪れた世界の特徴的な長寿地域の食文化についてご紹介するとともに、この40年間にその地域がどう変化してきたかについて、お話ししたいと思います。
ひとつ、確実に言えることは、食が健康寿命に影響を与える以上、長寿地域は永遠ではないということです。食文化の変化が、長寿地域を崩壊させることもあれば、その逆もありえるということです。
上の図に、私が、実際に訪れた世界25か国61の地域を掲載しています。
これは1996年までの調査を、2005年のパリ会議で発表した時の資料ですので、その時点での、「健康長寿食文化地域」「健康的でない食文化地域」「健康長寿食文化が危機の地域」をマークしていますが、それから約20年を経た今では長寿食文化が崩壊しつつある地域はさらに増えていると思われます。
この地図をご覧いただければわかるように、私が調査に訪れた地域は、都市部から世界の秘境と言われるような場所まで、さまざまです。
政治的な問題で入国が制限されたり、健診に必要な機材が届かないなどのトラブルは日常茶飯事。
時には伝染病の恐怖と戦いながら健診を続けたり、文化の違う国の方々と折衝したり、様々なハードルを越えて、約1万4000人の方々の協力をえることができました。
世界の三大長寿地域とは
かつて、1970年代にハーバード大学のアレキサンダー・リーフ博士が紹介して有名になった「世界三大長寿地域」をご存じでしょうか?
南米エクアドルの高地の村・ビルカバンバと、ジョージアなどを含むコーカサス地方、そしてパキスタンのフンザです。
この世界三大長寿地域は、お年寄りが元気に暮らし、センテナリアン(100歳以上の長寿者・百寿者)も多いと言われていたのですが、年齢などは自己申告に基づく場合もあり必ずしも科学的な裏付けがあるものではありませんでした。
パキスタンのフンザは紛争などでとても現地調査に入れる状態ではありませんでしたが、残る二大長寿地域、エクアドルのビルカバンバとコーカサス地方には、この研究が始まった初期に現地調査に赴くことができました。
私たちが最初にビルカバンバに降り立ったのは、1986年の6月のことです。
米国経由で首都のキトに入り、さらに空路でロハという街を経て、急勾配のガタガタの山道を車で3時間。周りは裸の山が多いのに、ここだけは「ビルカバンバ(聖なる谷)」という名前にふさわしく緑があふれています。
赤道直下にも関わらず海抜が1500メートルもあるので、年中18度~24度程度と大変過ごしやすく、1年中、果物や野菜が実り、まさに桃源郷のような場所でした。
ここでの主食は「ユッカ」というイモと、トウモロコシです。
カトリックの方が多く、金曜日は肉を一切食べないので、1週間に1度、土曜日にだけ食肉市場が開きます。羊や牛などが処分され、内臓まですべて残さず村人が分け合って食べ、茹でて切られた腸は子どもがチューイングガムのようにかんでおやつにしていました。
また、「クエ」というモルモットの一種を台所に多数放し飼いにし、客が来たら、それを丸ごと茹でて照り焼きにして、脳も内臓も全部食べます。健診メンバーの私たちも歓待を受け、すすめられたのですが、実験でいつも顔を合わせているラットを思い出し、どうしても食べることができませんでした。
市場では、牛の十二指腸と果物で発酵させた汁を牛乳に入れて固めた「ケシージョ」という豆腐のようなフレッシュチーズが売られていました。そのまま食べたり、味噌汁のようにスープに溶いたりして食べるようです。
当時は電気も通っておらず車もなく、ほとんどの人が徒歩かロバなどを利用する生活をしていました。
ケシージョ
タバコを吸う118歳
ビルカバンバでは戸籍がなく年齢が不明の人も多いため長寿村の真偽が分からないという説もあったので、私たちの調査では、年齢が確認できる50~54歳の無作為抽出の男女100人のみをデータの対象者として健診をしました。
その結果、高血圧の人(WHOの基準で上が140ミリ、下が90ミリ以上)は10%のみでした。世界の50代前半の高血圧率は約20%ですから約半数という少なさです。
また、コレステロールの値も男女平均で170ミリグラム前後。コレステロール値は、200ミリを超えると心筋梗塞の死亡率が上がり、170ミリ未満になると脳卒中の死亡率が増えるのですが、ちょうど適正ゾーンで、大変優秀な数値でした。
これは、低脂肪で食物繊維が豊富なイモとトウモロコシの主食と、低塩・低脂肪のクエや羊など良質のたんぱく質を摂っている効果でしょう。さらには内臓までまるごと食べることで、血圧を下げる効果があるタウリンも摂れます。
豊富な野菜や果物、また、ケシージョというチーズも、カリウムやカルシウム、マグネシウムが豊富ですから、塩の害を打ち消しているのだと思われます。
この時の健診で、印象的だったのが、地区で一番の長寿者であった118歳の男性です。
私たちは、古い教会に残っていた幼児洗礼のリストから年齢が確実に分かる地区最長老の方を探してもらったのですが、その方は、ひとりで1時間ほどの山道を歩いて健診会場にいらしたのです。
話を聞くと3人の妻とは死別され、18人の子宝に恵まれ、孫、ひ孫、やしゃごと幸せにお暮らしとのこと。健診の結果も正常で健診後は1日たった3本吸う手巻きタバコの1本を楽しんでいました。
カスピ海ヨーグルトを発見
もう1か所、世界の長寿地域として知られていたコーカサス地方を訪れたのも1986年のことでした。
コーカサス地方の中でも当時ジョージアにはセンテナリアンが多いことで有名でした。私たちはこの地区でも一番長寿の人が多いと言われていた、オセチア地区のジャワ村を訪ねて健診をしました。
ここは、ジョージアの中でも、オセチア語を話し、独自の文化を持つ村です。村にはホテルも何もなく、私たち健診チームもテント暮らしで健診を続けました。
肉料理は、シシカバブ(ぶつ切りにした羊肉などの串焼き)や、牛や羊などの、茹で肉や蒸した肉などを香辛料で味付けした料理が中心です。また、ここにも牛の胃などに果物を加えて発酵させた汁を牛乳に混ぜて固めた、フレッシュチーズがありました。
海からは離れていますが、近くの川で獲れるマスに似た淡水魚もよく食べられていました。
さらに注目すべきは、食卓にどっさりと出される野菜や果物の多さです。ワイン発祥の地と呼ばれるだけあり、ブドウやプルーンなどは非常に豊富です。プルーンをつぶして作った砂糖の入らない「ツケマリ」というジャムも、調味料として使われていました。
そして、なんといっても特徴的なのは、毎食、どんぶりのような器になみなみとサーブされる自家製ヨーグルトです。各家庭で、牛を飼ってヨーグルトを作り、それぞれに家庭の味があるようでした。
この時のヨーグルトを私たちが日本に持ち帰ったことで、後に、「カスピ海ヨーグルト」として日本でも大ブームとなりました。
現地のお年寄りたちと一緒に食事をして驚いたのは、現地の方たちは、ブドウなどの果物の皮や種もまるごと食べてしまうのです。皮には食物繊維が豊富ですし、種にはコレステロール値を下げる不飽和脂肪酸が入っているので大変よい食べ方なのですが、私たちもその食べ方を真似したら、たちまち下痢をしてしまいました。現地の方は日常的に飲んでいるヨーグルトに免疫力を高める作用があるから大丈夫なのでしょう。
実際の尿の分析では、塩分摂取量は、1日14グラムと当時の日本の平均値よりもかなり高い値でした。しかし、日本と違うのは、カリウムを含む野菜や果物、ヨーグルトなどを多くとっているので、ナト/カリ比(ナトリウムに対するカリウムの比率)が低く、塩の害が打ち消されているということです。
また、肉の摂取量は多いのに、コレステロール値が高くなかったのですが、これは、肉を、焼いたり蒸したりして、脂を落として「賢い食べ方」をしていたせいだと思います。また、魚も摂っているので血圧を下げる効果のあるタウリンも多いことがわかりました。
ジョージアではお酒は長寿の源と考えられており、実によくお酒を飲みます。「タマダ」と呼ばれる長老が乾杯の発声を執り行い、乾杯用には牛の角のカップが使われます。机の上に置くとこぼれてしまうのでなみなみと注がれたワインを必ず飲み干すこととなります。
こうして、みんなで食卓を囲みワインを飲んで盛り上がって歌われる歌は、複数の人たちがそれぞれのリズムと旋律をうたう「ポリフォニー」と呼ばれる独特な合唱です。これは無形文化遺産にも指定されています。
ワインやブドウに含まれるレスベラトロールというポリフェノールには大豆に含まれるイソフラボンと同様の女性ホルモンに似た作用があることがわかっています。大豆を多く摂取する地域は長寿であると第1回の連載でお話ししましたが、コーカサスでは、このレスベラトロールも長寿に一役買っていたのでしょう。また、「ポリフォニー」で音程を違えて歌うことも認知症予防に役立っていたと思われます。
マサイの戦士を健診
もう1か所、この研究を始めた当初、どうしても調査してみたい民族がいました。アフリカの中でも、文明と遠く離れ、独自の遊牧生活をしていた「マサイ族」(地図中の46モンドゥリという地域に住む)です。マサイには高血圧の人がいないという話もあり、ぜひ、1度健診をしてみたいと思っていたのです。
チャンスは1986年に、タンザニアの農村部のハンデニ県で健診をしている時にやってきました。マサイは戦士となる前に2人組で世の中を見て歩く武者修行をするのですが、武者修行中の2人組が健診会場でじっと観察をしていたのです。
この青年たちの血圧を測ってあげたことをきっかけに、数十人のマサイの方々が健診に協力してくれることになりました。実際にマサイの血圧を測ってみると、高血圧の人が、本当に全くいません。
血圧計が壊れたのかと疑うほどで、試しに自分の血圧を測ってみると、ちゃんと作動しており、しかもいつもよりずいぶん高い数値です。短剣や槍を持ったマサイの戦士たちに囲まれて私の血圧だけが急上昇していたのでした。
翌年には、さらに詳しくマサイの健診をする計画をたてていましたが、明日マサイの村に出発という直前になって、マサイ語の通訳が、行きたくないと言い始めました。
私たちは、前年の健診で採血をして持ち帰っていたのですが、マサイでは血は魂だと信じられています。もし、たまたま採血された人に不幸があったら、敵討ちが正当化されている文化なので健診チームは殺される可能性もあるというのです。
そこで、私たちは日本に国際電話をかけて、健診チーム全員に最高額の生命保険をかけてもらい、マサイの村長に健診の許可を得るために、決死の思いで現地入りしました。
マサイ族
塩を摂らずに生きる
前年の健診のデータでは、マサイの食塩摂取量と血圧はこれまで調査した地域の中で1番低かったので、食塩の少ない地域を山の頂上にしたグラフを見せ「マサイは世界のトップ、1番健康だ」と力説すると、村長もほほえんでそれなら村を挙げて協力すると言ってくれました。
この時の健診でもマサイには高血圧の人はほぼゼロでした。血圧の平均値は、上で116ミリと、日本の小学生なみで、コレステロール値も世界最低レベルです。
そして、尿の分析から分かったのは1日の塩分が2.5グラムと圧倒的に少ないのです。
実は、当時、マサイは塩を持っていなかったのです。2.5グラムは、彼らが飲んでいる牛乳に含まれる塩分に等しく、塩分はほとんど牛乳から摂っていたのです。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
今だけ年額プラン50%OFF!
月額プラン
初回登録は初月300円・1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
オススメ! 期間限定
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
450円/月
定価10,800円のところ、
2025/1/6㊊正午まで初年度5,400円
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2022年5月号