今から30年前にソ連という国がなくなったことは誰もが知っているが、「どのようにして?」と問われることは滅多にない。漠然たる自明視が支配的だからだろう。だが、実はきちんと解明されていない問題が多々残っている。
ソ連時代末期の「ペレストロイカ」は、当初は限定された体制内改革を目指していたが、次第にエスカレートし、ついには事実上の体制転換=脱共産主義化を志向するようになった。そこにおいて主要目標とされたのは、市場経済化、リベラル・デモクラシー化、そして連邦制の分権的改革である。共産党の事実上の社会民主党化も目論まれた。
もちろん、これは容易なわざではなく、幾多の困難がつきまとっていたが、とにかくそうした転換の試みはペレストロイカ後期には相当程度進行しつつあった。
しかし、体制転換が自動的に国家の解体をもたらしたわけではない。他の多くの旧社会主義諸国は体制転換しても国家は解体しなかった。ソ連でも、国家解体抜きでの体制転換を目指した同盟条約調印へ向けた交渉が進んでいた。
1991年8月のクーデタは同盟条約調印阻止を最大の狙いとしていたが、その失敗後、より分権性を高めた同盟条約の締結を目指す交渉が再開され、ゴルバチョフだけでなく、エリツィンを含む一連の共和国指導者たちもそれに参加していた。年末のソ連解体はそれを中断させた。
日本では、「ソ連崩壊」という曖昧な言葉遣いで、かつてのソ連型体制の放棄とソ連国家の解体とが同一視されがちである。しかし、前者はペレストロイカ後期に漸次的に進行しつつあったのに対し、後者は1991年末に一気呵成に進んだから、両者は時間的にも異なるプロセスである。後者で問われたのは、ソ連型体制を放棄するか否かではなく、それをどのレヴェルで進めるのかの選択だった。
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source : 文藝春秋 2022年5月号