いよいよ開幕したプロ野球。だが、それを楽しみにしていた野球人の姿が今季はない。昨年12月に亡くなった片岡宏雄さん(享年85)だ。古田敦也、石井一久、広澤克実、池山隆寛、宮本慎也、石川雅規……ヤクルトを代表する選手たちを見出した名スカウトで、昨季、日本一となったチームを率いた高津臣吾監督も、その一人だ。一方で、黄金期の監督だった故・野村克也氏との確執も根深かった。
「野村監督の“ID野球”はデータを野球に活かすってことだけど、負けた言い訳(の理論武装)にもしてたんだよ」
これは片岡さんの言葉だ。負けるとノムさんは選手名を挙げてグチったので、野球記者は「勝てば監督のお陰、負けたら選手のせい」と揶揄していたし、当時のヤクルトの選手は「勝ったらノムさんが続投するから勝ちたくない」とまで言っていた。
亡き野村監督を悪しざまに言うつもりはないが、片岡さんの悔しさを幾度となく聞かされた者として、あえて、その言葉をお伝えしよう。
1989年のドラフト前、監督から「いい捕手は?」と聞かれた片岡さんは「古田」と答えたが、監督は「捕手は高校から入った方がプロで大成する」という考え。大学から社会人野球へ進んだ古田の獲得には否定的で、眼鏡を掛けていることにも懸念を示した。それでも片岡さんは古田を推して、2位で指名。後に監督にまでなるほどの選手となったのはご存知の通り。
私がこの話をノムさんに確認したら、「高校出の方が成功する確率が高いと言ったんだよ。眼鏡を気にしていたのは片岡で、俺は、固定観念は捨てなさいと言ったんだ」と見事に話が逆で驚いた。
甲子園で五敬遠された松井秀喜選手が話題になっていた92年のドラフト前には……。
「監督が『あれは、ちょっとカタいよな。騒がれるような選手か?』と言うから、俺は『素材としては10年に1人のバッターですよ』と答えた。だけど監督は『投手を獲ってくれ。野球は投手や』と」
そこで片岡さんは社会人の伊藤智仁投手を推した。
「だけど伊藤がオープン戦で打たれたら、監督は『しょせんノンプロの投手や。2軍に行かすで』ときた」
入団した年、伊藤投手が野村ヤクルトの優勝に大きく貢献したのはご存じのとおり。しかし酷使がたたって、選手寿命は短かった。
「松井のドラフトから3年くらいしたら監督は『やっぱ獲っときゃ良かった』と言い出した(苦笑)。言うことがコロコロ変わるんだよ」
そして95年。明治大学野球部4年にノムさんの息子、野村克則捕手がいた年だ。
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source : 文藝春秋 2022年5月号