先日、戦時中の設定で書いていた小説の中に耳の聞こえない青年を登場させた。
戦況が苦しくなるにつれ、虚弱体質や病気があっても若い男性の多くが徴兵されていく中で、聴覚障害のある人々が戦地に送り込まれるケースは少なかったようだ(ただし徴兵検査では詐病を疑われ、しつこく調べられたそうである)。
中には「決して喋らない」ことを買われてスパイ活動をさせられた例もあったが、多くは国内の軍需工場や農地で働いた。いずれにしろ彼らは、聞こえる人(いわゆる「聴者」)向けの言葉をほとんど残しておらず、資料集めにもやや苦労した。
彼らにとっての第一言語は手話であるが、当時のろう学校では音声日本語の習得のさまたげとみなされて厳しく禁止されていたり、教師が手話を理解していない場合も多かったようだ。
音を伴わず、文字言語を理解していくとはどういうことか。
例えば「حبيبتي」というアラビア語をご存知だろうか? この文字を理解するためには、私ならまず「何と読む?」と尋ね、意味を聞き、音の情報と合わせながら何とか覚えていくだろうが、ろう者には「حبيبتي」の視覚情報だけが頼りだ。ちなみに意味は「愛しい人(女性)」。
では「愛しい人」とはどんなものか――という概念については、彼らは手話を使ってくれない聴者の先生から教わることになる。……でもどうやって? こうしてみると、かつてのろう教育下で読み書きが苦手なままになった人も多いことは理解できる。短い言葉の筆談はしても、長い文章を残している例は少ない。
コミュニケーションの溝や学習の遅れによって、知的障害や精神疾患と混同されることも多く、聴者からの偏見は強かった。今は「ろう者」「耳の不自由な人」「聞こえない人」「聴覚障害者」などが代表的な一般名称だが、かつて庶民は彼らを何と呼んでいましたか、と手話通訳者やろう者をサポートする人々に尋ねたら、今は差別語として既に出版や放送で控えられている俗称が挙げられた。
「でも……そう呼んでましたよね。一般の人の会話レベルでは。蔑称とか悪意、みたいなことを特に意識もせず」
小説や脚本を書く時には、実に悩む。リアリティに沿えば、市井に暮らす人物は「差別語」を何気なく口に出すはずだが、今の読者に合わせて、当時使われなかった言葉を喋らせるべきか――。
一箇所だけ、「A(聞こえない人物)が周囲から『〇〇』とからかわれ」という文脈の中でその表現例として使ったところ、版元の出版社にはやはり削除を求められた。作品末に「※現代では差別語です」と注釈をつけてはどうかと提案したが、版元の意向は変わらなかった。
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source : 文藝春秋 2022年7月号