岸田首相に「語る口」はあるか 「黄金の三年間」という言葉こそが政党政治の劣化を物語っている 

曽我 豪 朝日新聞編集委員
ニュース 政治

勝利が所与のものであるかのよう

 今夏の参院選の最大の特徴は、その盛り上がりのなさかもしれない。

 この原稿を書いている6月末の段階でも、世論調査の結果はまるで岸田文雄自公政権の勝利が所与のものであるかのようで、野党に向けられる関心は、立憲民主党と日本維新の会との「野党第一党レース」にとどまるかに見える。

 20年以上続いた「自公」と「民主」の2つの塊が政権を奪い合うピリピリとした緊張感は消え、与野党とも現状維持ないしは躍進や復調を目指すだけの生温い空気が漂う。平成最初の年である1989年の参院選以来30年余り選挙を取材してきた筆者にも正直、類似例が浮かばぬ状況である。

 何より、コロナとウクライナの二大危機に立ち向かう政党政治全体の迫力が感じられない。相変わらず岸田政権は「新しい資本主義」「防衛費増額」「敵基地攻撃」そして「憲法改正」などと御題目だけは並べてみせるが、審判を前にしても中身や道筋を明らかにしようとしない。そのおかしさを突くべき野党も、対決か提案かといった基本姿勢で足並みが乱れ、政権を追い詰めて政治の潮流を変えてゆくきっかけさえも見出せないでいる。

 原材料と物価の高騰、円安が同時に深刻化するなか、景気と平和の両方を回復させる手立てが今ほど問われる時代はない。それなのに、政権には自らの「プランA」の確かさを唱えて揺るがない覚悟の言葉が現れず、野党からも「プランB」の代案を掲げとって代ろうとする迫力ある言葉が聞こえてこない。

 代わりに政権維持に偏した国内政局論ばかりが流布される。参院選で勝てば岸田首相はしばらく衆参の選挙のない「黄金の3年間」を手に入れるだろう。そんな声まで囁かれるのが永田町の現実なのだ。

 国民・有権者の審判を受けずに済むことを「黄金」と称して顧みない空気こそ、日本の政党政治の劣化を物語る証左ではあるまいか。

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岸田首相

参院選では権力が動く

 政治の潮流を決定づけた参院選は幾度もあった。2001年には、自公連立政権の小泉純一郎首相が「小泉改革」を旗印に掲げて参院選で大勝し、長期政権の礎を造った。07年には、民主党が「政権交代」を唱えて一度目の安倍晋三政権を衆参ねじれに追い込み、09年衆院選で政権を奪取する跳躍台とした。政権選択の機能は衆院選のものであり、参院選は実績評価にとどまるとされるが、実際には、政権や国会の協力体制など権力の結集軸を変動させる副次機能を参院選は有してきたのである。

 何よりも、筆者が最初に目撃した89年参院選がそうだった。自民党が歴史的な惨敗を喫して衆参はねじれ、1955(昭和30)年の結党以来続いた自民党長期政権時代の終焉が予兆された。官公労と民間労組を糾合して連合が発足、それぞれが推す社会党と民社党を結集させ、非自民勢力による政権交代へとつなげてゆく「プランB」の立案作業が始まった。

 さらに92年参院選では、細川護熙氏率いる日本新党が四議席を獲得して表舞台に躍り出た。新たな政治の主役の登場を呼び込む機能も参院選にはある。その「プランB」は、93年7月の衆院選における日本新党の躍進と細川非自民八党派連立政権の誕生により結実した。

 だが、筆者が今、政党政治の劣化を食い止めるための教訓と思うのはその政局劇ではない。「守旧派と改革派」(小沢一郎氏)といった政権交代に向け世論を喚起させた派手な言葉の数々ではない。

 直前の5月4日、カンボジアへのPKO(国連平和維持活動)派遣に加わっていた文民警察官が武装集団に襲われて1人が死亡、4人が重軽傷を負った。政権の内外に即時撤退論が噴出し、時の自民党政権の「プランA」は存亡の危機に瀕した。

 その時、宮沢喜一首相は国民に向け何をどう語ったか。

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宮澤喜一

「撤退やむなし」の雰囲気のなか

 筆者は当時、政治記者5年目の若手で、その日は先輩記者と2人で大型連休中日の出番だった。だから朝刊早版の締め切り間際に「文民警察官死傷」の第一報が入った際の驚愕と喧騒を鮮明に覚えている。政治部をはじめ朝日新聞編集局のフロア全体で出番が一斉に立ち上がり、非番の記者を取材に走らせ、紙面を総替えするための指示が飛び交った。

 今のように携帯電話やスマートフォンで瞬時にやりとりが出来る時代ではない。出先や滞在先で政権や外務省の幹部らをつかまえた先輩記者たちの一報は「撤退やむなし」を示唆するものばかりだったが、軽井沢で静養中だった宮沢首相の本心を確認した情報ではなかった。

 何度か取材したことのある自民党外交部会の若手が軽井沢にいると分かり、卓上電話を鳴らすと、電話口に出た。聞けば、首相と会って話をしたといい、話の中身は語らぬものの、どうも様子が違う。見解を求めると「国民の理解を求める努力は必要だが、撤退すべきではない」と返して来た。ただこちらも正直、半信半疑だった。いくら情報を整理しても、その段階で派遣の「継続論」は圧倒的な少数意見だったからだ。

 無理もなかった。後に宮沢氏自身が「聞き書 宮澤喜一回顧録」(御厨貴、中村隆英編 岩波書店)の中で、その夜の顛末を明かしている。

 一報を受けて「夜っぴて東京へ帰らなければいかんな」と思った宮沢氏は、帰りの車中で「日本はもうPKOを全部撤収すべきであるという意見が非常に強い」などと報告を受けた。「それは待ってくれ。私が帰るまで」と止めたが、官邸に着くとやはり、撤退やむなしの雰囲気だったという。

 宮沢氏は「それには反対だ。これは継続して行うべきである」と断じた。「明日の朝刊ではどちらかということがはっきりする」ため「時間が大事だから、自分ははっきりと継続を決断する、ということに決めました」とその時の心境を振り返る。

 首相の意思通り、翌5日の朝日新聞朝刊(東京本社最終版)の1面には「邦人文民警官5人を殺傷」の真下に「政府、方針変えず」との見出しがあった。ただ、「PKO見直し論議も」との見出しも並び、2面にも「自衛隊派遣 是非問う論議必至」と続いた。

 世論はむろんのこと、政権内でさえ動揺は明らかだった。2日後の7日朝刊には、現職の小泉純一郎郵政相の閣議での発言に基づき「撤退含めた対応要請」とした記事が1面トップで掲載されている。

 その動揺を鎮めたのも、宮沢首相だった。事件発生から8日後の12日、首相は記者会見に臨んだ。

 新たな犠牲が出た場合にも派遣の中断や撤退はないのか、と記者に問われた宮沢首相はまず、派遣の理念を語った。「冷戦が終わって、我々も新しい平和秩序の構築に国際貢献をしなきゃならないという国を挙げての議論の中でああいう法律が成立をし、こういう貢献に出ている訳でありますので、大筋として我々のやっていることは、我々のすべきことであるし、また世界から期待されているところであろうと思います」。

 そして首相は「不幸なことが起こったのは誠に残念でした。申し訳ないことだけれども」としつつ「我々に求められているそれは、国際貢献であるというふうに私は考えています」と、明確に撤退を否定した。

 最後、責任の取り方に質問が及ぶと、首相は「私の決定でしていることですから、私はその決定に責任を持たなきゃならない」と答え、「尊い犠牲が出た、そういう安全を脅かされるような状態は、万全を挙げて解消して、与えられた使命を我が国としても果たす。私は、そういう決心をしています」と結んだ。

安倍元首相が読んだ弔辞

 何より際立つのは、正確を期した主語の使い方である。法律や派遣の目的と理念を語る場合は「我々」という一人称複数形を使うのだが、撤退の是非や責任問題など話が勘所に及ぶや否や、主語は一人称単数形である「私」へと変わるのだ。

 確かに、根拠法であるPKO協力法は、自民党及び賛成した野党の公明、民社両党を加えた「我々」のものなのだろう。だが撤退論が広がるなか、それでも派遣の意思を変えないとの判断は首相である「私」しか出来ず、責めを負うのも「私」のほかいない。そうした覚悟のうえでの言葉と思える。

 とまれその決心は、政治信条の別なく自民党には、かけがえのない実績と受けとめられた。2007年6月に宮沢氏が死去し、8月に内閣と自民党が行った合同葬で「撤収との大勢の意見のなか、派遣継続を決断した。現在、わが国の人的貢献は国際的に高く評価され、その礎は宮沢首相の英断で築かれた」との弔辞を読んだのは、時の安倍晋三首相である。7月の参院選で惨敗して衆参のねじれを招き、首相を辞任する直前のことだった。

安倍晋三 (1)
 
安倍元首相

国民が知りたいのは「私の決心」

 翻って、今日の岸田首相はどうだろう。通常国会が閉会した6月15日、首相は記者会見に臨んだ。

 参院選の意義を問われると、岸田首相は「歴史を画する課題に日本がどう挑戦するか、国民に判断いただく選挙だ」と答えた。防衛費の増額をまかなう財源を質されると、持論の「新しい資本主義」を巡る投資政策も挙げて「国民の命や暮らしを守るために何が必要なのかをまず議論する。そのためにはどれだけの予算が必要か。予算規模によって財源のあり方は変わってくる」と語った。

 審判を願う政権の実績と目標は何か、信を問う政策の中身と必須の財源は何か、首相自身の意思が伝わってこない。さらに、改憲を重要争点にするか否か、自身の意思を問われて答えた際の主語はこうだ。

「自民党はこのところ毎回、国政選挙で憲法改正を公約の重点項目の柱の一つに掲げてきた。今回の選挙でもしっかりと掲げる」

「聞く耳」を標榜し、「検討する」を連発する首相にすれば、自民党つまり「我々」を主語とするのは、調整型の手法の結果かもしれない。「一強」体制の元で強硬姿勢が目立った安倍晋三、菅義偉両政権との違いが、現段階までの世論の好感を呼んだ可能性もあろう。

 だが「歴史を画する課題」に「挑戦する」と言うのなら、国民・有権者が審判を下すうえで一番知りたい情報は、危機に臨む首相の「私の決心」ではないのか。

 確かに首相は10日にシンガポールであったアジア安全保障会議で、安全保障政策について「5年以内」に抜本的強化を図り防衛費の相当な増額を「確保する決意」だと語ってはいる。だが、その目標が政府の「骨太の方針」に盛り込まれた経緯を見れば、首相の「決意」自体が安倍晋三元首相ら党内の強硬論を呑んだ調整の結果だった事実は否めまい。

 ただ、岸田首相を凌駕できる「私の決心」が野党のリーダーたちにあるかと言えば、戸惑うほかない。

 立憲民主党の泉健太代表が参院選に向け発表した「生活安全保障三本柱」に「着実な安全保障」を入れ込んだのは、三番目とはいえ、覚悟の結果ではあったろう。党内に根強い左派勢力の存在を思えば、中道と現実路線に立つ泉氏がこの勝負所で少なくとも党内外に「私の決意」を示したとも言える。

 だが、防衛費に対しては増額に理解を示したうえで「あくまでひとつひとつ真に必要なものを精査して積み上げていくべきだ」と指摘しただけだった。これでは、いくら「提案型政党」への脱皮の途上とは言っても、政権が用意した議論の土俵に取り込まれてしまうだろう。そればかりか、仮に「泉首相」が誕生する場合、本当に「プランB」の安全保障政策が実現されるのか、その期待感さえしぼませてしまいかねない。

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国家プランを言葉で示せ

 日本維新の会は、吉村洋文・大阪府知事(副代表)ら地方自治体のリーダーを擁し、コロナ禍対応などで政府の政策の行き詰まりを追及しつつ、大阪から都市部を中心に全国へ勢力拡大を図る。確かに現状打破の迫力はあり、昨秋の衆院選の躍進もその成果ではあったろう。

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source : 文藝春秋 2022年8月号

genre : ニュース 政治