SPはなぜ山上を撃たなかったか

緊急特集 テロルの総決算

麻生 幾 作家
ニュース 社会 政治
舗道に出た「一歩目」を許したとき、すでに安倍氏の運命は決まっていた──

『基本』から逸脱していた

 背後はいごの警戒が、なぜガラ空きだったのか――。

 安倍晋三あべしんぞう元首相(以下、安倍氏)が銃殺された事件で、多くのメディアはその思いを引きっている。

 安倍氏は犯人が発射した2発目の銃弾が致命傷となって命を落とした。それについても一部のメディアは、警察の「警護員けいごいん」たちの行動について、なぜ山上徹也やまがみてつや容疑者に「2発目」を撃たせたのか、どうして「応射おうしゃ」(反撃射撃)しなかったのかとの批判や疑念を表している。

 その一方で、それらの批判や疑念はしょせん結果論であり、命がけで職務についている警護員にはこくな話だ、という論調もある。

 だが、多くの警護員と接してきた元首相秘書官の1人は、事件発生直後から、警視庁や関西地域の警察本部に在籍する現役の警護員たちから、それら批判や疑念とはまったく次元じげんが違った“驚きの声”を聞くこととなった。

 多くの警護員が元秘書官に対し真っ先に口にしたのは次のような言葉だった。

「『警護』とは『0点か100点』の世界ゆえ、その『結果』を生じさせない最大限の努力を行う責務が、安倍氏の直近で警護する『身辺しんぺん警護員』と聴衆の中や舗道ほどうに配置していた『行先地ゆきさきち警護員』にはあった。しかも、『本来の手順』が十分に遵守じゅんしゅされず、『基本』から逸脱いつだつしていた事実がある。同じ警護員として感情的にはそうは言ってもという気持ちはある。だが、今回の警護員の行動は余りにも驚愕するものだった」

 警護員たちが指摘した「本来の手順」と「基本」とは、警察庁が全国都道府県警察本部(以下、全国警察)の警護担当部門に向けて配布し、「教養きょうよう」させている「警護要則けいごようそく」、「警護細則さいそく」と「警護措置マニュアル」(以下、総合して「マニュアル」)である。

「警護員たちが『本来の手順』を守らず『基本』から外れていたという事実は、それら『マニュアル』が警察庁に歴然れきぜんと存在する以上、残念ながら否定しがたい」(元秘書官に語った警護員の言葉)

 その「マニュアル」には何が書かれ、今回の事件では何が守られなかったのか。事件を振り返ることで追ってゆきたい。

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安倍首相を取り巻く警護員たち(2019年)

「マニュアル」は守られず

 元秘書官に吐露とろした前出の警護員がまず指摘したのは、事前に作られた「警備計画」だった。

 事件発生翌日、奈良県警の鬼塚友章おにづかともあき本部長は、警護上の問題があったことは否定できないとした上で、

「(警備計画は)私が目を通し、承認したのは(事件発生当日の)午前中、原案通り承認した」

 と語った。

 その「警備計画」には、「警護対象者」である安倍氏を直近で警備する「身辺警護員」として、警視庁の「同行警護員」―「SPエスピー(護衛官)」1名と奈良県警の警護部門の課長補佐で「いちの警察官」(道府県警の警護の責任者)と「身辺警護員」2名の計4名の、それぞれの配置が図面に書かれていた。安倍氏の左手約3メートル後方に警視庁SP、さらに後方に奈良県警の「いちの警察官」が立ち、右手約3メートルに2人目の県警の「身辺警護員」、そして右斜め後方に3人目の県警「身辺警護員」を配置することになっていたし、テレビで流された映像でも分かるとおり、現場でもその通りになった。

 しかし「マニュアル」が教養するものはまったく違う。

「身辺警護員」の「警護体形の基本」として警察庁が全国警察の警護員たちに「教養」させているのは、「5人体形」である。

 元秘書官は警護員から、

「『マニュアル』の『警護体形の基本』で指示されているのは、『警護対象者』の右手前方に『5番員』と呼ぶ『身辺警護員』1名、真横の左右に『2番員』と『3番員』の2名、後方の左手と右手に『身辺警護の長』(大概『いちの警察官』)である『4番員』と『1番員』の2名を配置すること。それで左右前後の防衛力が効果的に発揮される」

 との説明を受けたという。

 そして「マニュアル」にその根拠が示されているとして、さらにこう続けたという。

 一般的に、明確な視野とは、視線を中心として、上下左右、30度以内の部分であり、この外側に注意力は及ばない。人間がある現象に注意する場合は、一点に注意する場合と前方のすべてに注意する場合とでは注意力の効果が異なる。注意力の効果は注意する面の半径の2乗に反比例する。

 したがって対象の行動範囲が大であればあるほど、注力ちゅうりょくの効果は薄れることとなる。ゆえにその計算から、「警護体形の基本」が作成された。

 そして警護員は、「警護対象者」との距離についてもこう指摘したという。

 いずれの「身辺警護員」も安倍氏から2メートルから3メートルも離れていた。しかも、現場責任者である「いちの警察官」は、なぜか警視庁SPと並んで立っていた。

 しかし、「マニュアル」では、直近左右に配置する「2番」と「3番」の「身辺警護員」は、「警護対象者」との距離は1メートルにせよ、と指示している。また、後方を担当する「4番」と「1番」の警護員は縦に1メートル後方でかつそこから左右に60センチと決めている。

 さらに「マニュアル」にはこうある。

 人間が暴漢ぼうかんの出現を認めてからこれに対する防御ぼうぎよ的動作を起こすまでの所要時間は概ね「0.5秒」。一般成人ならば、この0.5秒の時間中に約3.5メートル走ることができる。

 警護体形は現場状況に応じて変動があり、また「5人体形」はあくまでも基本である。しかも演説者を押しのけてまで原則を通すには苦難がある。しかしあの「警護環境」を理解していれば、「マニュアル」に頼らずとも、360度からの攻撃に対応可能な配置であったか否かを考えると失敗と言わざるを得ないと、警護員たちは元秘書官の前で苦渋くじゅうの表情を浮かべたという。

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山上容疑者を取り押さえる警護員たち

「突発日程」は日常茶飯事

 鬼塚本部長は、6年前、警察庁で全国警察の警護員を統率する「警護室長」だった人物。警護を知り抜いているはずである。

 にもかかわらず、なぜ「マニュアル」が守られていない警備計画を承認することになったのだろうか。

 元秘書官は、警護員の配置は、地元の選挙関係者の感情を忖度した光景が想像される、と語る。

「警護員を多く立たせることで、いかめしい雰囲気になることを選挙関係者が嫌がる傾向にある。警護員としては配慮せざるを得ない場合もある」

 しかし、そう語った元秘書官に対し、別の警護員は、

「要はバランスの問題ですが、『マニュアル』は『選挙警護』という項目まで作り、まさに“口を酸っぱくするほどに”選挙関係者への対応について多くを『教養』しています」

 と言ったという。

 さらに、元秘書官のもとに証言を寄せた警護員は、安倍氏の応援演説の予定が前日に決まったことで、地元選挙関係者との意思疎通そつう不足がメディアで取り沙汰されているが、極めて強い違和感を持ちつづけている。

 選挙応援演説はいつもクルクル変わる「突発日程とっぱつにってい」の連続であり、警護員と選挙関係者とが事前の打ち合わせをする十分な時間がない方が多い、とした上でこう続けた。

「だからこそ『マニュアル』では、『突発日程』に備えるノウハウが事細かく記されている」

 さらに元秘書官が聞いた警護員の声には、

「警護員は日頃から地元選挙関係者との関係を密にして、『突発日程』をいち早くつかむことで、打ち合わせに時間をかけろ、と『マニュアル』は指示している」

 というものもある。

一歩踏み出させた時点でアウト

 そして、安倍氏の演説が始まった。

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source : 文藝春秋 2022年9月号

genre : ニュース 社会 政治