政治の混迷から抜け出すためにわれわれがなすべきこと
安倍政権の支持率が一気に下落した。たとえば時事通信の調査によると、6月半ばの45.1%から7月半ばの29.9%への急落である。このわずかな期間に何があったのかといえば、特に失政と呼ぶべきものがあったわけではなく、景気が悪化したわけでもなく、外交上の問題があったわけでもない。ただ政権の近辺で、それ自体はほとんどとるに足りない出来事が生じたに過ぎない。森友学園問題から加計学園問題、さらには豊田真由子議員のトンデモ発言から稲田朋美防衛大臣の失言と続き、それが都議選での自民党の大敗をもたらし、安倍政権の支持率急降下へといたる。
この一連の流れを眺めていると、私など、安倍政権の危機というより、むしろ民主政治の崩壊という感を強くする。かつて古代ギリシャのアテネで民主政治が徐々に蝕まれていたころ、プラトンが放った民主政治への批判は、それは必然的に自壊する、というものであった。民主政治は、決して未熟なために失敗するのでもなく、あるいは外部からの攻撃によって破壊されるのでもなく、その爛熟の果てに自ら崩壊する、というのであった。
この否定的で皮肉なテーゼが民主主義に関する最初の政治理論であったことをわれわれはすっかり忘れてしまった。政治学者でさえも、そのことを唱えるものはほとんどいない。民主主義さえ実現すれば政治がよくなる、という何の根拠もない思い込みによって、われわれはすっかりしっぺ返しを受けているようにみえる。
「空気」は理屈ではない
安倍政権の支持率について改めて述べておくと、ここに何か確かな意味があるとは思えない。私は安倍首相の個々の政策については賛否はあるが、近年の内閣にあって、経済政策上も外交上も安全保障上もこれだけ矢継ぎ早に政策を実施した内閣はない。明らかに安倍首相なりの危機感と義務感があったのであろう。近年では圧倒的な指導力というほかなく、しかも、90年代の初頭の政治改革以来、20数年にわたって、「何も決められない日本の政治」というのが、わが政治に対する非難の常套句であった。強力な政治的リーダーシップの必要性をマスメディアも評論家・知識人も訴え続けてきたのである。政治改革とは官邸の権力を強化して政治的指導力を発揮することであり、「何も決められない日本の政治」から脱却する、ということであった。
その点では、これほど「決めてきた」政権はない。しかし、今、多くのメディアや評論家・知識人は、安倍政権は独裁的だとか、独善的だとか、やりたい放題だとかと、非難している。何人かの新聞記者やジャーナリストと会ったおりに、私が「加計学園問題など大騒ぎするほどの問題ではないだろう」というと、たいていの人は、「その通りだ」という。しかしそれに続けて次のようにいう。「だが、今の安倍政権はやりたい放題だ。誰も政権を批判できない。だからまずは、この政権をストップさせなければだめだ」と。
私は安倍政権の内部事情などまったく知らないし、「独裁的」かどうかもわからないが、強力な政治的リーダーシップとは一面では独裁的でもある。内閣主導とは、手続きに従った官僚行政を排する、ということである。大方のメディアも知識人もそれを求めてきたのだ。
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source : 文藝春秋 2017年09月号