2つの仏テロ事件が暴露した欧州の病理
昨年、フランスでは社会を揺るがす2回のテロがありました。1月7日の『シャルリ・エブド』襲撃事件と11月13日のパリ同時多発テロです。
現在、フランスは“闇の中”に沈没しつつあります。それをもたらしているのは、多くの犠牲者を出したテロそのものではありません。非常に力を持っている中産階級(社会全体の上位半分)が、移民や若者といった下位の階級の人々に対して利己的な態度を取ることによって、社会がそういった人々を吸収・統合する能力を失っている現象に他なりません。“自由・平等・友愛”というフランス革命以来の標語にもとづく共和国のあり方は消えつつあるのです。
フランスをはじめとするヨーロッパの中産階級には、ヒステリックなイスラム恐怖症が蔓延しています。しかし、そこで悪魔のように語られるイスラム教徒は、実像を反映したものではなく、人々がきわめて観念的に作り上げたフィクションです。
失業率が10%を超えているフランスは、経済的な苦境に立たされています。そして、すべての先進国に共通する特徴の1つは、若者たちが社会的にも経済的にも押し潰されようとしていること。中でも厳しい状況におかれているのが、イスラム圏を出身地とする若者たちです。イスラム恐怖症は、経済的に抑圧された若者を社会から疎外させ、事態をより深刻にしています。フランスの社会的メカニズムの一部となりつつある不平等さ、不寛容さが、フランスの若者をテロリズムに導くことにつながっているのです。
シャルリ・エブド事件の直後、パリ市内そしてフランス各地の街角で「私はシャルリ」(Je suis Charlie)とメッセージを掲げる数百万人の市民が繰り広げたデモ行進は、まさにそうした無自覚な差別主義の発露でした。差別されている弱者グループの宗教の中心人物であるムハンマドを冒涜することは、宗教的、民族的、人種的憎悪の教唆とみなさなければなりません。大いに美化された、「表現の自由」を訴える“シャルリ”たちの主張からは、観念的なイスラム恐怖症が見え隠れし、平等や友愛の精神は置き去りにされていたのです。
ヒステリックな反応の嵐が吹き荒れる中、シャルリ現象へのわずかな疑いすら述べることが許されない風潮がありました。いつの間にか「私はシャルリ」という決まり文句は「私はフランス人」と同義になり、ムハンマドへの冒涜はフランス人の「権利」ではなく「義務」となっていたのです。ムハンマドの風刺をフランス社会の真の優先事項とみなさなかった私は、昨年1月の事件の後、演出された挙国一致の世情に嫌気がさして、数カ月間にわたってフランス国内メディアからのインタビュー依頼をすべて拒否しました。もっとも、「私はシャルリ」と声高に叫ぶ人々は、自分たちこそがフランス革命の理念の体現者であると信じて疑わなかったわけですが。
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source : 文藝春秋 2016年03月号