かつて日本にもテロの時代はあった。悩める若者を搦め取る大きな物語に気をつけろ
今回の「イスラーム国」をめぐる一連の出来事は、私たちに多くの課題を突き付けた。なかでも私が注目しているのは先進国の若者が何故「イスラーム国」に惹かれるのか、という点だ。
昨年十月、私が勤務する北海道大学の学生の一人が「イスラーム国」への国への渡航を計画し、当局の取り調べを受けた。イスラームとは一見関係が薄い日本社会に何故、そのような願望が生まれたのか——。直接教えていた学生ではないが、政治思想を研究している人間として興味深く、彼が記したツイッターなどを丹念に読んだ。すると、
「死にたいにゃんinイスラーム国」(二〇一四年十月二日付)
と書かれた文章が目に飛び込んできた。彼はイスラーム思想に惹かれた訳ではなかった。「死にたい」という自殺願望の果てに、「イスラーム国」を発見したのだ。
私には、バブル崩壊以降の二十数年間の日本で、地下水脈のように広がってきた鬱屈に、その原因があるように思えてならない。
「死」で「生」を確認する
一九九〇年代の初頭から日本の若者の心を捉えて来たモチーフの一つに、“日常こそが戦場だ”というものがある。実弾飛び交う戦争は自分の周りにはないが、イジメや生きる意味の欠如といった日常こそが、自分たちにとって生きづらく、戦場そのものだと考えるのだ。一見、飛躍しているように見えるこの考え方は、九〇年代の日本で若者の大きな支持を得た。漫画家の岡崎京子さんは「リバーズ・エッジ」(一九九三年)のなかで、日常の世界を「平坦な戦場」と表現し、生の隣にある死を描いた。
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source : 文藝春秋 2015年04月号