サイエンスライターの佐藤健太郎氏が世の中に存在する様々な「数字」のヒミツを分析します
本号は文藝春秋創刊100周年を記念し、「101人の輝ける日本人」と銘打った特集が組まれている。そこで本欄でも、この100年を代表する、それでいてあまり知られていない人物を取り上げてみよう。日本の女性化学者第一号となった、黒田チカだ。
チカは1884(明治17)年、現在の佐賀市で生を享けた。彼女の父は、今後は女性にも十分な教育が必要と考える、極めて開明的な人物であった。チカはその期待に応えて勉学に励み、当時最高の女子教育機関であった女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)に進学する。卒業後、いったんは福井で教職に就くが、1年後に母校に戻って研究生活に入ることになった。
チカの幸運は、生涯を通してよき師に恵まれたことであった。ここで彼女は、日本における近代薬学の開祖・長井長義に出会う。長井は、本場ドイツで鍛えた実験技術をチカに惜しみなく伝授し、一人前の実験科学者に育て上げる。
転機となったのは、1913(大正2)年、東北帝国大学が初めて女子の受け入れを表明したことだ。長井はチカに受験を勧めるが、このことが大きな問題を巻き起こす。文部省は女子の入学を問題視し、「前例の無きことにて、すこぶる重大なる事件に有り」という詰問状を大学側に送りつけたのだ。男子学生による入学反対運動も起きたが、東北帝大はこうした圧力に屈せず、敢然とチカら3人の女子学生の入学を認める。だが「女に何ができるのか」という周囲の冷たい視線は、変わることはなかった。
しかし東北帝大には、化学者眞島利行がいた。多くの門弟を育てた名伯楽であり、現代でも世界屈指のレベルを誇る、我が国の有機化学の基礎を築いた人物だ。眞島の熱心な指導の下、チカは天然染料である紫根の分子構造解明という、第一級の成果を挙げてみせた。学会発表の際には、マスコミはもちろん一般の見物客も押し寄せたというから、その注目度がわかる。
戦後、チカはお茶の水女子大の教授として、数多くの後進を育成した。かつて彼女の入学を阻もうとした文科省は、今や女性研究者の割合を増やそうと躍起になっており、東大は今後6年で女性教員を300人採用すると発表している。偏見と好奇の目に打ち勝ち、女性研究者という新たな道を切り拓いてみせた黒田チカの偉業は、もっと世に知られるべきだろう。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2023年1月号