小沢茂弘『三代目襲名』(1974)
1973年8月11日。全国の東映系封切館で、日本最大のヤクザ組織の組長、田岡一雄の自叙伝を映画化した『山口組三代目』(山下耕作監督)が公開された(併映作は『夜の歌謡シリーズ なみだ恋』[斎藤武市監督])。当時小学生だった私は、通学路にあった劇場の看板の前を通るたび、見てはならないものを見た気がした。小学生でも知っている“山菱の代紋”とあの高倉健が並んでいたのだ。暴力団排除条例が施行された現在では考えられないこの大胆不敵な映画は、73年の時点でもマスコミに叩かれたが、この年の1月と4月に公開された『仁義なき戦い』『仁義なき戦い 広島死闘篇』(ともに深作欣二監督)を上回る観客動員を記録した。
今回のテーマは、東映実録ヤクザ映画にとって欠かすことができない「山口組映画」である。『山口組三代目』の続編『三代目襲名』(74年、小沢茂弘監督)から、『山口組外伝 九州進攻作戦』(74年、山下耕作監督)、『実録外伝 大阪電撃作戦』(76年、中島貞夫監督)、『北陸代理戦争』(77年、深作欣二監督)といった“外伝”を経て、山口組映画の集大成『日本の首領(ドン)』三部作(77〜78年、中島貞夫監督)にいたる東映の「山口組映画」をもっとも多く書いた脚本家の高田宏治は当時、「ヤクザ」や「ヤクザ映画」をどのように考えていたのか――現在88歳の高田にあらためて聞いた。
高田 尾崎士郎の『人生劇場 残侠篇』(1936年)で飛車角がこう言うんや。「私は人を斬るときには必ず斬られることを覚悟しています。闘争の結果が殺人になっても、制裁の刃が人を傷つけることがあっても、殺す必要のない相手を殺したことは一遍だってありません。刃の林の中で斬り死にをすることが、私の本望です」。これこそがヤクザの本質やとぼくは思う。誰もが自分の心に正義を持っている。けれど現実の社会では、我慢ならない、制裁されて当然という相手がいたとしても、法の力に頼るしかなく、法には逃げ道があるから泣き寝入りせんならんことがままある。飛車角が言うように、自分の法に従い、死を覚悟で正義を貫くのが真のヤクザや。
そんなヤクザが人間本来の野性や怒りを刃にのせて闘う姿を見せ、日ごろ窮屈な法に縛られ鬱屈して映画館に来る観客に快哉を叫ばせ、刃の林の中で斬り死にする快感を体験させるのがヤクザ映画やねん。
東映任侠映画は人殺しをした者が自らの美しい死を願う劇でもある。それが10年近く続いて、お客さんに飽きられた頃、任侠映画を全否定して、「任侠ものに出てくるヤクザなんているはずないやろ。そこらにゴロゴロおるヤクザを映画にせなおもろないで」とコペルニクス的転回を図ったのが『仁義なき戦い』から始まる実録ヤクザ映画やねん。そこらにいる利己的で打算的なヤクザを描いて何が面白いんや、わざわざお客さんに金を払わせ、劇場まで足を運んでもらうこともないやろ、と当初は思ったが、実録ヤクザ映画にも美味しい劇のネタはいっぱいあった。
条件は仮名ではなく実名で
東映は極めて変わり身が早い映画会社である。実録ヤクザ映画が思わぬ大当たりを取ったことから、社長の岡田茂は、任侠映画の製作と鶴田浩二や高倉健の起用を即座に止める。戦前の神戸の名侠客、大野福次郎に可愛がられ、任侠映画の一時代を築いたプロデューサーの俊藤浩滋は『仁義なき戦い』の企画に名を連ねながら、任侠映画の衰退と岡田茂の決断には我慢ならなかった。そこで俊藤は『仁義なき戦い』を超える企画として、日本最大のヤクザ組織を作り上げた男、山口組三代目田岡一雄の自伝に白羽の矢を立てる。俊藤は三代目をこんなふうに捉えていた。
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