亀井勝一郎、蠟山政道、長谷川如是閑、阿部眞之助、小泉信三、福田恆存、そして岡本太郎……。
空疎、ごまかし、見せかけ、小手先を退け、ひとりの人間として、生真面目に、そして柔軟に綴られた魂の言葉
『文藝春秋』が100周年。文芸雑誌として出発した。今も芥川賞受賞作品が全編掲載される。ということは、文芸雑誌としての性格をなお保っているのだろう。とはいえ、文芸はその本来的性質として文芸にとどまり続けることはできない。文学も芸術も、対象とするのは結局、人間である。人間を描くとは、家族、社会、風俗、経済、政治、法、思想、歴史、科学、そして暴力にまで触れることだろう。そうして過去を振り返り、現在を見つめ、未来を思い描き、おのれに帰ることだろう。文芸は『平家物語』に、バルザックに、トルストイに、ついには至る。人間の関わる全領域に開展しようとする。それが文芸の運命である。
経済雑誌や政治雑誌が文芸雑誌に化けることは不自然であろう。が、その逆はおかしくない。むしろ、当たり前である。福沢諭吉も西田幾多郎も、あるいは大塚久雄も丸山眞男も、別に小説を書かずとも良かった。だが、森鴎外や夏目漱石、三島由紀夫や大江健三郎が時論、評論を書かぬことはあり得ない。文芸は世界の中に生きる経験から生まれ、そうして生まれた文芸は世界の全体を描こうとして四苦八苦するようになる。作家がそうなってゆけば、媒体もそうなる。『文藝春秋』は、菊池寛という幅広な文学者に育てられ培われて、文芸雑誌から世界を包含したい欲望に駆られた総合雑誌へと、まっすぐに進化したのだ。
総合雑誌といっても理論誌ではない。文芸雑誌といっても、先に観念や正答ありきのプロレタリア文学雑誌でもない。生きた個々の人間が息づいてこその総合雑誌である。人の実感に付いて離れない。そこに文芸雑誌から素直に育った総合雑誌の基本的性格が無くてはならない。文学を確固たる出自とし、芥川賞と結ばれ続けている『文藝春秋』は、総合雑誌として、そのような個性をまぎれもなく有している。100年間のどの1冊のどの頁からも生きた人間が飛び出してこぬことがない。それが『文藝春秋』らしさであろう。
現代歴史家への疑問(1956年3月号) 亀井勝一郎
はて、生きた人間が飛び出して来るとはどういうことか。『文藝春秋』の1956年3月号に、評論家、亀井勝一郎は「現代歴史家への疑問」と題する一文を発表した。前年に刊行された、遠山茂樹と藤原彰と今井清一の共著『昭和史』(岩波新書)への痛烈な批判である。同書は唯物史観に貫かれ、階級やイデオロギーで全てを語り切ろうとしている。帝国主義的戦争によって資本主義国の労働者階級は徹底的に抑圧され、犠牲にされた。労働者は善で資本家は悪だ。歴史は資本主義から社会主義に向かっている。正答がある。『昭和史』の示すところだろう。亀井は大いに噛み付くのだ。そんな歴史が果たして歴史なのか。
「歴史とは過去」の事柄を扱う。現代史といっても今日のことは取り上げないだろう。しかし過去を上から目線で冷静に眺め切れ裁定仕切れると思ったところから歴史家の堕落が始まる。歴史家は「現に生きてゐる人と会ふやうに、史上の人物とつきあはねばならぬ」。亀井にとっての付き合うとは伊達や酔狂を超えた言葉だ。亀井は言う。「『つきあふ』とは生死に関する問ひを発することである。かうして現在の自己との密着点を確認したいといふ欲求があるやうに思ふ」。現代の人間も過去の人間もいつだってギリギリで生きている。生きるか死ぬかだ。「生死に関する」瀬戸際に居るのだ。歴史を学ぶとは同じ瀬戸際同士の人間が時を超えて対話して付き合うということだ。それが「現在の自己との密着点を確認」するということの意味だ。亀井は特筆大書する。歴史家は常に危機を実感している人でなければならない。なぜなら人間の世の中にはいつだって安心安全はないからだ。永遠の危機があるだけだ。したがって歴史家もまた危機の渦中にあって「自分自身が大きな迷ひを抱いてゐなければならない」。その意味で歴史家の著作は「文学作品と同様」でなければならない。
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source : 文藝春秋 2023年2月号