新・富国強兵論

先崎 彰容 批評家
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今こそ明治を思い出し、身の丈にあった日本の国家像を取り戻すべきだ

先崎彰容氏

 令和4年はすべてが重々しく、かつ異様であった。

 戦争であれ国葬であれ、賛成反対の意見は割れるであろう。民主主義国家である限り、多様な意見は当然だといえる。だが私には、日本人が皆、おなじ精神状態に陥っているように見える。表面上は意見の隔たりがあるにもかかわらず、今、誰もが「漠然とした不安」に心を占拠されているとしか思えないのだ。

 急激な円安は食料品や原材料の高騰をよびこみ、私たちの生活におよんでいる。電気料金もあがり続け、節電要請もはじまった。まるで戦時中のようである。バブル崩壊以後、低成長の30年を経て、今、決定的な経済の失速に直面している。テレビには冷笑的なコメントが溢れ、若者はYouTubeの夥しい番組の世界に閉じこもっている。虚ろに若者は言うだろう、「かつては日本も経済大国だったらしいよ」と。経済大国の名誉を失った時、日本人にはいったい何が残されているのだろうか。食料自給率は低く、エネルギー供給も他国に依存する極東の小国は、核兵器もなければ潤沢な防衛装備品も存在しない。「富国」に失敗し「強兵」もできず、どんづまり状態の日本人は、ただただ立ちすくんでいる。漠然とした不安に陥るのは当然のことではないか。

 かつて詩人の萩原朔太郎は、「日本への回帰」という文章において、「今の日本には何物もない。一切の文化は喪失されてる」と言ったことがある。明治以来の日本は超人的な努力をして、死にもの狂いで西洋文明を学んできた。科学技術を学び、条約改正に成功し、日露戦争に勝利し、富国強兵に成功したのである。だが気がついてみると、西洋の真似をしても完全な西洋になることはできなかった。しかも日本独自の文化をみずから全否定し、省みもしてこなかったのである。だから明治維新から半世紀以上後の1937年、朔太郎は次のように嘆息するしかなかった――「僕等は一切の物を喪失した」。

 令和4年の日本もまた、同じではないか。終戦以来、77年もの間、経済成長を国是にアメリカモデルを追求して死にもの狂いで働いてきた。その結果、世界第2位の経済大国という称号も手に入れたのである。だが過去を全否定し、本物のアメリカにもなれない日本は、今や経済大国のプライドも失い、一切を奪われた状態ではないか。統一的指針などどこにもない。アメリカの威信がゆらぎ、砂粒のようにバラバラな世界で、どの国が国際社会の中心に躍りでて支配するのか。その際、日本はどう振る舞うべきなのか。

 私たちはいったい何をたよりに、自分らしさを、つまりは国家像を描けばよいのか。

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source : 文藝春秋 2023年2月号

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