昭和天皇が一時期から靖国神社に参拝しなくなった理由がA級戦犯合祀に対する「不快感」であるとする発言を記した「富田メモ」で知られる富田朝彦元宮内庁長官の妻、知子さんが昨年10月末に亡くなった。97歳だった。
筆者は2006年の春、地方勤務から東京に戻った。朝彦氏はすでに故人だったが、富田家にあいさつにうかがった。その後、朝彦氏の日記から昭和天皇の思い出などを抜き出して軽い読み物が書けるのではないかと思いつき、再訪したのが初夏のころだった。
日記を借り受け、辞去しようとしたところ、知子さんから「手帳もたくさんあって。細かい字でいろいろ書いているようだけれど、私は目を通していません。これもお持ちになる?」と言われた。
日記だけで12年分、11冊もあった。手帳まで読んでいられない。断わろうと思ったが、もらえる資料はとりあえず受け取っておこうという新聞記者の性で、「お借りします」と反射的に返事をした。
これらの手帳の一つに靖国のA級戦犯合祀に関する天皇の言葉が記されていたのだから、筆者も知子さんものちに仰天した。
「手帳も――」のひと言がなければ、昭和天皇の思いは埋もれたままであり、昭和史の描き方も違うものになっていただろう。
富田メモの報道後、一部メディアやネットで富田家に対する中傷があった。知子さんは「現代史研究のためにもメモの公開はよかった」とひるむことがなく、大騒ぎになっている状況を楽しんでいるかのようだった。その肝の据わりようの背景に、戦争体験があったと筆者は思っている。
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source : 文藝春秋 2023年3月号