イスラム世界との対話は可能か

日本人へ 第152回

塩野 七生 作家・在イタリア
ニュース 社会 国際

 一カ月の日本滞在の後でもどってきたヨーロッパだが、騒然としている。御存じイスラム過激派によるテロのためだ。イタリアでは彼らを、「首斬りイスラム」と呼んでいるが、自分たちの土地で首斬りするだけでは済まずパリにまで遠征してきて、金曜の夜という庶民の息抜きの日を狙って機関銃を撃ちまくり、自爆テロを決行したというわけ。狙われたのは居酒屋とか、サッカー場やミュージックホールで、犠牲になったのがいずれも庶民であるのが痛ましい。大統領官邸に突っこんで行ったのならばまだしも、警備など及びようもない場所だけを狙ったのだから、首斬りイスラムとは所詮、卑怯者の集団にすぎないのだ。

 それでも、もっともらしい言説を述べることこそ有識者の役割と信じている人々は言う。

 テロリストの多くがヨーロッパに移住したイスラム教徒の息子や孫の世代であるのを取りあげて、西欧社会に溶け込めないでいる若者たちの不満に寄りそってやり、彼らが浸透できるよう努力をつづけるべきだと主張する。

 しかし、パリでのテロの容疑者の兄という人のインタビューを聴いてからは、こうは楽観的に考えられなくなった。この若きイスラム教徒は、実にまっとうな人である。つまり、自身の信仰は守りながらも西欧社会に溶け込み、まっとうに働らくことで生活している。この人の話を聴きながら、テロリストには同情しなくても、テロリストの肉親になってしまったこの若者には同情した。

 それに日本人の中にも、社会の落後者であったわけでもないのに、殺してみたかった、というだけで、昨日までは親しくしていた友人を殺す者もいるではないか。道ですれちがった赤の他人に、斬りつける人だっている。これらの日本人と首斬りイスラムとのちがいは、前者は精神鑑定されるのに対し、後者は宗教という旗印を振りまわすだけ。いずれも、何やら免罪ということになり、損をするのは常に、何の責任もない被害者ということになる。不条理、で片づけるにはあまりにも哀しい。

 有識者たちはこうも言う。だからこそ、キリスト教世界とイスラム世界との間の対話が必要なのだと。

 しかし対話と言われたって、少なくとも首斬りイスラムは、対話なんて求めていない。また、首斬りは否と考えている穏健イスラム教徒たちも、対話の必要を、ほんとうに感じているのだろうか。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2016年1月号

genre : ニュース 社会 国際