一カ月の日本滞在の後でもどってきたヨーロッパだが、騒然としている。御存じイスラム過激派によるテロのためだ。イタリアでは彼らを、「首斬りイスラム」と呼んでいるが、自分たちの土地で首斬りするだけでは済まずパリにまで遠征してきて、金曜の夜という庶民の息抜きの日を狙って機関銃を撃ちまくり、自爆テロを決行したというわけ。狙われたのは居酒屋とか、サッカー場やミュージックホールで、犠牲になったのがいずれも庶民であるのが痛ましい。大統領官邸に突っこんで行ったのならばまだしも、警備など及びようもない場所だけを狙ったのだから、首斬りイスラムとは所詮、卑怯者の集団にすぎないのだ。
それでも、もっともらしい言説を述べることこそ有識者の役割と信じている人々は言う。
テロリストの多くがヨーロッパに移住したイスラム教徒の息子や孫の世代であるのを取りあげて、西欧社会に溶け込めないでいる若者たちの不満に寄りそってやり、彼らが浸透できるよう努力をつづけるべきだと主張する。
しかし、パリでのテロの容疑者の兄という人のインタビューを聴いてからは、こうは楽観的に考えられなくなった。この若きイスラム教徒は、実にまっとうな人である。つまり、自身の信仰は守りながらも西欧社会に溶け込み、まっとうに働らくことで生活している。この人の話を聴きながら、テロリストには同情しなくても、テロリストの肉親になってしまったこの若者には同情した。
それに日本人の中にも、社会の落後者であったわけでもないのに、殺してみたかった、というだけで、昨日までは親しくしていた友人を殺す者もいるではないか。道ですれちがった赤の他人に、斬りつける人だっている。これらの日本人と首斬りイスラムとのちがいは、前者は精神鑑定されるのに対し、後者は宗教という旗印を振りまわすだけ。いずれも、何やら免罪ということになり、損をするのは常に、何の責任もない被害者ということになる。不条理、で片づけるにはあまりにも哀しい。
有識者たちはこうも言う。だからこそ、キリスト教世界とイスラム世界との間の対話が必要なのだと。
しかし対話と言われたって、少なくとも首斬りイスラムは、対話なんて求めていない。また、首斬りは否と考えている穏健イスラム教徒たちも、対話の必要を、ほんとうに感じているのだろうか。
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source : 文藝春秋 2016年1月号