唖然とした。何なんだこれは、と思った。あっけにとられて、しばらくテレビ実況に見入った。九月十七日の安保法案強行採決の場面だ。あの法案をめぐる駆け引きに強い関心をもって熱心に見ていたわけではない。攻防が最終段階にきていることは知っていたので、他の仕事をしながら、「そういえば、あれはどうなったのかな」という程度の軽い気持ちでときどきNHKにチャンネルを合わせていた。そしたら、ほとんどピッタリのタイミングであの強行劇を見守ることになった。
何に唖然としたのかというと、あの決定過程だ。野党から平和安全法制特別委の鴻池委員長に対して不信任動議が出された。その採決をする間、委員長職が鴻池氏から自民党の筆頭理事たる佐藤正久議員(かつてのイラク派遣自衛隊のヒゲの隊長)にゆずり渡された。しばらくして不信任動議が否決されると、鴻池委員長が委員長席に復帰した。その瞬間だった。強行採決劇が一挙に進行した。突如屈強な一群の若手自民党議員団が入ってきたかと思うと、アッという間に委員長席周辺を取り囲んだ。そのただならぬ様子にいよいよと察知した野党議員たちがドッとかけつけた。たちまち両陣営が入り乱れての怒鳴り合い、つかみ合い、殴る蹴るの乱闘シーンがあちこちで繰り広げられた。怒号が飛びかう中、いつのまにか議場の一角に移動していたヒゲの隊長が手を何度か上下に振ると、それに合わせて与党議員たちが一斉に立ったり座ったりを繰り返した。声がちゃんと収録されていなかったので、テレビを見ている人には何が起きているのかさっぱりわからない。テレビ実況のアナウンサーが、「いま何が行われているんですか?」「さあ何ですかね」と言葉を濁したくらいだ。議事録上は「議場騒然。聴取不能」とのみ書かれているという。聴取不能のわずか八分間のうちに、あわせて十一本の安保関連法案の採決が全部終わっていた(と自民党は主張し、野党は無効を主張している)。まるで、見物人の気が一瞬そがれた隙にすべてが終わってしまう高等手品のような法案さばきだった。この間何といっても目立ったのは、議場の一角から全体の指揮をとっていたヒゲの隊長の采配ぶりである。優れた指揮官は戦場で味方の軍に指揮棒を一閃させるだけで、自由自在に兵を動かすといわれるが、それはこういうことをいうのだろうと思った。その見事な統率力と采配ぶりに感心もしたが、同時になんじゃこれはと思った。こんなことが許されていいのだろうかと思った。各紙の報道を合わせると、ヒゲの隊長らは防衛大学校の年中行事・開校祭の棒倒し合戦を参考に相当の時間をかけて、策を練り、シミュレーションと練習を重ねた上で本番に臨んだという。ヒゲの隊長は正真正銘の軍人(自衛官)出身の政治家である。元軍人が国会の議場の一角に陣取って、議員たちを右から左に自由に動かしていたのである。そして“軍”の将来のために必要とされる法律案を無理やり通してしまったのだ。これほどの無茶苦茶は、昭和戦前期の議会で政党政治がテロで一瞬に瓦解し、軍の専横時代を全面的に開花させたあの時代ですら行われなかったことだ。
悪夢を見る思いだった。軍がかかわる最重要の国策変更を、元軍人が前面に出て現場指揮を執ることで一挙に強行突破で片付けてしまったのだ。それもわずか八分で。
この場面を見ていてつくづく感じたのは、軍という組織が持つ圧倒的な行動力と組織力である。あれを見て、軍が中心になって行動すれば、クーデタなんかすぐにできると思った。史上最も有名なクーデタは、ナポレオンが一瞬にして政権を掌握した「ブリュメール十八日(一七九九年)のクーデタ」だが、今回のヒゲの隊長の作戦は、手際からいって、それをはるかにしのぐものだった。軍はこういう危険性を内包した組織であるだけに、それ的な暴走を絶対に起させない仕掛けを内部に持っていなければならない。それがシビリアンコントロールという制度である。現代のいかなる国家も、軍という武力装置を持つと同時に、それに付随して軍を暴走させないためのシビリアンコントロール制度をあわせ持っている。
軍は、近代国家各国において、合法的武力を持つことを許された唯一の組織だから、武力行使にはさまざまの歯止めがかけられている。その最大のものが、シビリアンコントロールの大原則だ。軍人たちは軍の武力を好き勝手に使うことはできない。軍と無縁の外部の人間(シビリアン)から武力の整備、人員配備など予算のかかわる一切について厳重なチェックを受けなければならない。
戦前の日本では、軍は天皇に直属直結する組織としてシビリアン(一般市民)のはるか上に立っていたから、市民の側からの掣肘を一切受けなかった。戦後、憲法九条によってそもそも軍を持たない国家になった日本では、シビリアンコントロールの問題が真剣な議論の対象になることはなかった。保安隊や自衛隊が存在するようになっても、その武力が、市民を害する危険性はないと考えられてきた。自衛隊の出動は災害救助がもっぱらだった。
そういう平和な日々が続くなかで、軍の暴走を防ぐシビリアンコントロールが重要という考えが、日本人の頭から抜け落ちていった。そしてついに今年六月、形式的には保たれていたその最後のかすがいも、日本の社会から外れてしまった。防衛省設置法の改正という形で、防衛省における背広組(内局官僚)の制服組(自衛官)に対する優位性原則(どちらがどちらのいうことを聞かねばならないか)が取り払われてしまったのだ。いまでは、背広組と制服組は完全に同列化した。その結果、日本は、軍隊(自衛隊)を持ちながら、その内部でシビリアンコントロールの原則が貫徹していないという世界でも珍しい国になった。
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source : 文藝春秋 2015年11月号