「アーウー」の演説と首相任期中の衝撃的な死で記憶に新しい大平正芳(おおひらまさよし)元首相(1910―1980)は、香川県の出身で、昭和11(1936)年東京商大(現・一橋大)を卒業後、大蔵省に入り、戦後、池田勇人蔵相秘書官となる。志げ子夫人とは、昭和12年に結婚した。無教会派のクリスチャンであり大変な読書家でもあった大平氏の最後の言葉は「あと何冊読めるかなあ」だったとのこと。田中角栄の無二の盟友として田中内閣では外相として日中国交正常化に尽力。昭和53年、首相となる。昭和55年波乱の総選挙中に急逝。その遺志は秘書官であった、長女芳子(よしこ)さんの夫・森田一さん(衆議院議員)が継いでいる。
私の母は少女時代から「東大の銀杏並木を洋書を抱えて歩いている」ような、ちょっとインテリっぽい雰囲気の東大生と結婚するのが夢だったらしいんです。それが、四角い顔であだなが「お父ちゃん」の東大卒でもない父と結婚することになって(笑)。証券会社を経営していた、母方の鈴木家の祖父が「あいつは将来大臣になる男だ」と言って見込んでの、事実上婿入りのような結婚だったので、父は言わば「マスオさん」の走りですよ(笑)。
お役人の奥様になって、のんびりするつもりだった母が、ここでもまた予定が狂って、政治家の妻になって下げたことのない頭を下げて回ったのですから苦労もあったでしょうね。父もそれがわかっていたのでしょう。初めて選挙に出た頃のことを、母に「苦労したよな」とよく話していました。
それでも「金帰火来」の今の政治家と違って、昔は年に1、2回国会報告に帰るという程度のものだったんですが、母にしてみると、自分は向いていないと思ったのでしょうね。何しろ選挙区で挨拶をされて「どちら様でしょうか」と答えてしまうんですから(笑)。よく選挙区の人達が「大平先生の奥様はお姫様らしい」と言っていました。選挙区への挨拶まわりは兄と私にまかされました。

父は心の広い人でしたから、母のそういうお姫様っぽいところを可愛いと思っていたようです。母は生涯一度もお台所に立ったことのない人で、お稽古事やお買い物が好きで毎日でかけていました。いくら心の広い父と言っても、時々買い物の明細を見て怒るんですよ。母とは逆に父は大変な倹約家、ケチと言ってもいいくらいでしたから。そういう時「それは、私が欲しくて買ってもらった」と言って、喧嘩の仲裁を私がしました。娘に弱い父親でしたから。
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source : 文藝春秋 1998年2月号

