となりのしばふ

ハコウマに乗って 第29回

西川 美和 映画監督
エンタメ 国際 映画
 

 至る所に外国からのお客さんが戻ってきている。映画の世界でも徐々に海外ゲストの訪日が増え、私も韓国の新人監督とトークイベントの機会をもらった。

 一九九二年生まれのキム・セインさん。公開された『同じ下着を着るふたりの女』という長編デビュー作は、プロの映画人を目指す韓国の若者が実践教育を受ける「韓国映画アカデミー(KAFA)」の卒業制作だという。奇妙なタイトルが示唆するテーマは、いびつに固着した母娘関係だ。自らも母親との間で苦しさを感じてきたというキム監督は、新人らしく身近なテーマを選んでいるものの、沈着冷静に練られた脚本や撮影の的確さに、学生映画につきまとう拙さはない。

 卒業作品の制作費には数千万円が投じられ、KAFAの全額出資である。学費や寮費もほぼかからないが、その分在学中はアルバイトの暇もないほど厳しいカリキュラムと実習に明け暮れ、プロの講師からマインドや技能を鍛えられる。十分な実践力を身につけた彼らは質の高い卒業作品をひっさげて、のっけから国際映画祭にも存在感を刻み、次世代を担うエリートとして船出するのだ。『パラサイト 半地下の家族』でアジア系初のカンヌ最高賞とオスカーのW受賞者となったポン・ジュノ監督も卒業生である。

 一九九七年の経済危機で国ごと破産しかけた韓国は、その後エンターテインメント分野の市場拡大を国の立て直しの鍵と見込み、ひらたく言えば「アジア人の作るもの」として一段下に見られないレベルに達するべく、国策として徹底的にサポートしてきた。そして、結果を出した。ダイナミックで激しい物語も歴史背景や俳優の演技にフィットするし、最先端の技術や表現も躊躇なく取り入れ、あっという間に世界を取り込んでいった。KAFAの運営資金は、映画館のチケット代の三%を「映画発展基金」としてプールしたものから出ているが、国民が映画を観て、支え、自分たちで新たな「宝」を育てているという自負が今や多くの人に共有されているのかもしれない。

 日本にはそれに匹敵する映画教育機関がない。私のように映画学校も出てなければ自主映画経験もなく、現場に入って機材の名前一つ知らないところから見様見真似でシナリオを書き、人の映画を参考に一人でカット割りに頭を悩ませてきた監督は原始人に見えるだろう。「それで映画が撮れるんですか?」と尋ねられたら、「撮れてない……かも」と答えてしまいそう。

 色んな意味で圧倒される私に、透明な瞳を輝かせながら、キム監督は「監督のエッセイを何度も読んでいますし、韓国で撮影される機会があれば友人みんなで応援に行きます」と温かい言葉をかけてくれる。優しい後輩だなあ……。

 二〇年ほど前に初めて映画を撮った頃から、韓国の映画人には励まされてきた。新人監督賞のコンペで呼ばれた岩手の映画祭には、ポン・ジュノ氏が審査員で参加されていたが、当時は『ほえる犬は嚙まない』というデビュー作が日本公開されたのみで、正直よく知らなかった。私はありがたくも新人監督賞をもらったが、落選した『ばかのハコ船』の山下敦弘監督に、「僕は大好きだ。面白いしすごい才能だ」とポンさんがしきりに褒めておられたのが印象的だった。温厚で優しくて、私も山下さんもすっかりファンになったが、数ヶ月後に日本公開された『殺人の追憶』を観て、その桁外れの面白さに総毛立った。さっきまで宿にいた御隠居が水戸黄門だと知る感じ……。

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source : 文藝春秋 2023年7月号

genre : エンタメ 国際 映画