池田勇人は浅沼稲次郎を悼み、革新を保守に包含した
日本の近現代史において、国家の強制力の前で個人が思想のありようを変える「転向」について、また歴史の潮流のなかで国論が大きく変貌する「時代の大いなる転向」について、さらにそれが絡み合うさまを、この連載の前2回で論じてきた。
特に前回、戦時中に軍国主義を煽っていた者が、太平洋戦争敗戦を機に、にわか仕立ての民主主義者に転じ、戦後社会の知的中枢でリーダーとなっていく姿を「転向民主主義」と名付けて指摘したことについては、私の周りからも様々な反響があった。戦後日本の思想空間のなかに「転向民主主義」が継続してきたことが、今日の民主主義弱体化を招来した一因であるという私の論には、いくつかの共感の声が寄せられた。そして前回の最後に、自前の民主主義を改めて生み出すには、「真正の革新」と「成熟した保守」の再興が必要だと私は述べたのだが、今回は、「成熟した保守」とはどのようなものなのか、私の体験と歴史上の事象とを行き来しながら、自分なりのイメージをスケッチしてみたい。
かつて私は、池田勇人首相の秘書官で、宏池会事務局長も務めた伊藤昌哉に70時間取材して、『実録 自民党戦国史』(朝日ソノラマ、1982年)という本を代筆したことがある。朝日新聞政治部で宏池会担当だった塩口喜乙(きいつ)の声がけによるものだった。1960年代から80年代までの自民党政治の内幕と派閥抗争の実態を内部からの目で赤裸々に語ったもので、この本は20万部を超えるベストセラーとなった。執筆に関わることで私は、保守本流と呼ぶべき宏池会の個性豊かな政治家たちの存在感を、伊藤の目を通じて追体験することになったのである。
伊藤は、田中角栄という怪物的な政治家が支配した時代に、宏池会はいかに理念をもって闘い抜いたか、『実録 自民党戦国史』を刊行することで、記録として残そうとしているようだった。
宏池会は1957(昭和32)年、池田勇人後援会として結成され、以来、自民党内の有力派閥として、保守の奥行きと柔軟性を体現する政治家を多く輩出してきた。
現在に目を向けると、どうであろうか。宏池会に出自を持つ岸田文雄が首相に就任した際、私は、岸田政権が安倍政権や菅政権の強権政治とは異なる保守リベラルの新たな政治を行うことを期待していたのだが、それは裏切られたと言うしかない。宏池会的な平和主義の哲学も、国民の側に立つ筋道の立った経済政策も、国際社会に向き合う清新な世界観も、ほとんど見られないのである。
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