芥川龍之介に『芋粥(いもがゆ)』という作品がある。芋粥を心ゆくまで食べたいと思っていた男が念願叶うと得体のしれない寂しさに襲われるという話。
芥川賞を受賞して、ひとしきり賑わったあとの私の心持もこの芋粥の男に似ていた。
私の場合、夫の早すぎる死がまず先にあった。夫がくれた独りの時間を絶対に無駄にしない。ならば子供のころからの夢を実現しよう。喪失の空隙(くうげき)をそう心で変換して私はがむしゃらだった。あきらめることなど思いつかない。いつも突き上げるような渇望があった。10年経って、私の戦いは終わった。私の夢は思いがけない形で叶った。深い静かな満足感があった。
でも、私を駆り立てた歯ぎしりするような思いはもうどこにもなかった。頭ではやりたいことがある。でも心が動かない。抜け殻になってしまった自分をどうすることもできないでいた。
同じころ、体に変調をきたした。足が冷えて固まって思い通りに動かせなくなった。
昨日までごく当たり前にできていたことが今日はできない。これほどショックなことはなくて私は気が動転した。
まだずっと先だと思っていた老いがすぐそばに来ている。
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source : 文藝春秋 2019年9月号