私が生まれ育ったのは、四国松山、道後温泉のすぐそばである。
日本最古の温泉と言われ、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)がその湯で病を癒したという神話がある。舒明(じよめい)天皇、斉明(さいめい)天皇の行幸、聖徳太子が訪れた話が残り、額田王(ぬかたのおおきみ)や山部赤人(やまべのあかひと)がその地で歌をよんでいる。一遍上人(いつぺんしようにん)の生誕地とされ、瀬戸内水軍の根城があり、一茶や山頭火が訪れて句を残し、伊藤博文をはじめ初期の歴代首相が政局の疲れを癒しに来浴している。子規が生まれ、親友の漱石が訪ねて共に過ごし、小説「坊っちゃん」の舞台にもなっている。そして、弘法大師が四国に八十八カ所の霊場を開き、お遍路の伝統はいまにつづく。
ざっと挙げただけでも、物語の題材に事欠かない恵まれた土地を故郷にしていると思うが、子ども時代は歴史など一切関心がなく、有名な温泉につかることのできた日々も、銭湯に入るのと変わらない日常に過ぎず、有難がる感覚は、周囲を見回しても皆無だった。
幼い頃、家の近くのお稲荷さんのそばに、目立たない旅館があった。観光客が間違っても泊まりそうにない細い裏道沿いに建つ旅館には、ときおり上から下まで白装束の人が出たり入ったりしていた。その人たちが、(近年流行っているバスなどで霊場を回り、観光ホテルなどに泊まるお遍路ツアーではなく)歩いて八十八カ所を巡っているお遍路さんであり、大きな看板も出ていなかったあの旅館が、たぶん歩き遍路さん専用のへんろ宿だったと思い至るのは、再開発によって旅館が跡形もなく消えたあとだった。
昨今の時代状況は閉塞的で、人々は、富の有る無しで人間のランクや社会のシステムに差をつけることを肯定する世界的な潮流に呑まれ、自分の生き残りに精一杯となり、それぞれが孤立を深めて、滅びの道へと盲目的に進んでいるかのようだ。権力も富も持たない人々が、滅びの道に背を向け、生存の道へ進むことを願うなら……互いに手を差しのべ、力を貸し合い、子どもを育て合い、悲しみを分け合って過ごす場所を、作るか求めるかしかないだろう。その場所に既存の言葉をあてるなら、「ふるさと」になると思った。
むろん今も昔も、エゴやしがらみのない、よいことばかりの「ふるさと」など現実には存在しない。
かくいう私も、少年時代は故郷を嫌っていた。同調圧力の強い土地柄で、人と違う行動をとると罰せられる環境に窮屈な思いをし、早く出て行きたいと願っていた。そんな私を救ってくれたのは数少ない友達だった。愚かしい遊びにも常に付き合い、表現者になりたいという私の無謀な夢も笑って応援してくれて、いまも温かい付き合いをつづけてくれている。私が嫌っていたのは、故郷ではなく、管理の厳しかった学校であり、同調圧力に屈しそうな臆病な自分だったのだと、のちになって気づいた。
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source : 文藝春秋 2019年9月号