◆「コンバージョン手術」ステージⅣの手術成績アップ
◆マルチ診断薬で肺がんの個別化医療が劇的に進化
はじめに 私のがん体験
12年前の2012年5月、私は東京大学医学部附属病院(以下、東大病院と略す)にて大腸がん(S状結腸がん)の切除手術を受けた。
手術は腹腔鏡下で行われたが、切除箇所はS状結腸のほぼ全部と所属リンパ節(大腸の近傍リンパ節)19個、さらには病巣部に癒着していた腹膜の一部など広範囲に及んだ。そして、術後の病理検査の結果、私の大腸がんの病期は、第二群所属リンパ節の2カ所に転移を認めるステージⅢaと判定されたのである。
主治医からは再発予防のための術後補助化学療法(半年間にわたる経口抗がん剤の服用)を強く勧められたが、私の生業は時に夜討ち朝駆けの取材や徹夜の原稿執筆などを余儀なくされるジャーナリストである。
経口抗がん剤の副作用は、点滴抗がん剤のそれに比べてマイルドとされてはいたが、体調不良に見舞われれば、仕事に大きな支障が生じる恐れがあった。加えて、当時の私には向こう半年間にわたって仕事を手控えながら生計を維持していく経済的余裕もなかったため、熟慮の末、術後補助化学療法は受けないことを決断した。
その後、およそ7年間にわたる東大病院での経過観察(術後サーベイランス)が始まったが、S状結腸がんの場合、通常の経過観察期間はおおむね5年間とされている。私の場合、それが2年間も延長されることになったのは、手術後にいったん正常値に戻った腫瘍マーカーの数値が再び上昇に転じ、異常値を示し続けていたからだ。
実は、東大病院からかかりつけ医に転院した後の経過観察でも、腫瘍マーカー値の異常は続いている。とくにここ数年は右肩上がりの上昇傾向が顕著になってきており、かかりつけ医からは「今後とも数値や体調の変化を注意深く観察していく必要がある」と言われている。
大腸がんが再発の兆しを見せ始めているのか、あるいは別の新たながんが生じ始めているのか……。いずれにせよ、私の「がんとの闘い」は過去のものではなく、今もなお現在進行形で続いているのである。
話を12年前に戻せば、当時、私は51歳を迎えたばかり。働き盛りの身にとってはまさに「青天の霹靂」としか言いようのない出来事だったが、実はこの年、人生初となるがん手術で疲弊し切っていた私にさらなる悲運が追い討ちをかけた。およそ1カ月の入院を経て東大病院を退院した直後、父に末期の膀胱がんが見つかったのである。
病状は深刻で、膀胱の内壁ががんで埋め尽くされていたほか、腎臓と膀胱を結ぶ尿管の一つが膀胱の入り口で閉塞し、尿の滞留によって左の腎臓が大きく膨れ上がっていた。父の担当医からは抗がん剤による延命治療が提案されたが、この時、父はすでに日本人男性の平均寿命を過ぎた84歳。実家の茶の間で私が「どうしたいのか」と尋ねると、父は「もう十分に生きた。何もしなくていい」と答えた。
ただ、言葉の端々からは苦しんで死ぬことへの恐怖が感じ取られたため、私は父の担当医に「死期が早まってもかまわないので、鎮痛や鎮静の処置は躊躇なくやってほしい」と伝えた。その後、父は皮膚に貼るタイプの麻薬鎮痛剤の処方を受けながら、通院と入退院を何度か繰り返した後、その年の暮れ、病室で安らかに息を引き取った。
12年前に私と私の父を突如として襲った二つの出来事。それまでは「他人事」の一つにすぎなかったがんは、以後、私の人生とは切っても切れない存在となった。そして、現在も経過観察中のがんサバイバーであり、父をがんで喪った遺族でもある私にとって、がん医療をめぐる諸問題を追うことは、ジャーナリストとしての重要なライフワークの一つとなったのである。
がん医療は急激に進歩した
日本人の「2人に1人」が罹患し、いまだ「4、5人に1人」が命を落とすこの「国民病」に対する医療は、具体的にどのような進歩を遂げたのか。今、12年間にわたる取材を通じて瞠目しているのは、「この10年でがん医療は大きく様変わりした」という事実である。
実際、過去10年におけるエポックメイキングな出来事を振り返れば、がんの遺伝子解析にもとづく分子標的薬や、オプジーボ(一般名ニボルマブ)に代表される免疫チェックポイント阻害薬など、画期的な新薬が続々と登場した。また、延命治療しか打つ手のなかった進行がんに対しても、根治を目指した手術が行われるようになるなど、がん医療のさまざまな分野で目を瞠る成果が上がり始めている。
そこで、今回は「新たな手術法や治療薬をめぐる最新医療」をはじめ「がんの低侵襲医療」「遺伝性がんの予防」という興味深いテーマにも迫りながら、「がん患者とその家族」という切なる視点から、それぞれの「等身大の現在地」をリポートしていきたい。
【手術】ステージⅣでも成績が飛躍的にアップ
最初に取り上げたいのは「がん最新医療の現在地」、なかでも「手術と治療薬をめぐる現在地」である。
探訪先に選んだのは、千葉県柏市にある国立がん研究センター東病院(以下、東病院と略す)。というのも、私が知る限り、東病院はこの10年で劇的なまでに様変わりしたがん医療を牽引する、象徴的存在だからだ。
「当院が先駆的な医療を提供するのには、一つの理由があります。開設計画が持ち上がった時、『東京・築地の中央病院がすでにあるのに、なぜもう一つ、国立のがんセンターを千葉の柏に造る必要があるのか』との議論があったそうです。1992年に開院した当院が、その存在意義を広く世に示すためには、世界トップレベルのがん治療を提供するのに加えて、新たな治療法を開発、創出して臨床現場に届けることが強く求められていました」
大津敦前病院長(取材時・病院長)がいみじくもこう語るように、東病院は後発病院の立場を逆手に取って挑戦を続け、病床稼働率は常に100%を超えるという。新たな手術法や治療薬の開発などを通じて、特筆すべき最新医療を数多く世に送り出してきたのである。
なかでも私を驚かせたのは、最終ステージにあたるⅣ期の固形がんに対する治療成績が、飛躍的に向上しつつあるという事実だった。
白血病や悪性リンパ腫などの「血液がん」に対して、肺がんや大腸がんや肝臓がんなど、臓器で腫瘍の塊を形成するがんは「固形がん」と呼ばれている。その病期(ステージ)は0期からⅣ期に分類され、Ⅳ期に近づくほど進行の度合いは深刻なものとなる。
このうち、他臓器(原発部位以外の臓器)や遠隔リンパ節(原発巣から遠いリンパ節)などに転移のあるⅣ期の固形がんは、これまで「治らない」とされてきた。抗がん剤などによる「延命治療」の余地こそ残されているものの、患者やその家族にとって、事実上、Ⅳ期宣告は「死の宣告」に等しかったのである。
この点は私も他人事ではない。東大病院での経過観察では、CT検査と大腸内視鏡検査、血液検査を定期的に受けていたが、医師から検査結果が告げられる日は、決まって朝から再発宣告への恐怖に襲われた。
当時、私と同じステージⅢaのS状結腸がんの再発率はおよそ3割とされていたが、経過観察期間後に再発の有無を追跡していない患者もいるため、実際の再発率は4割前後に達するとも言われていた。S状結腸がんによくある肺や肝臓への転移が見つかれば、私の病期はたちまちⅢ期からⅣ期へと転落する。診察予約を入れた時間が近づくにつれて妙な冷や汗とともに気分が悪くなり、見かねた看護師からリカバリールームで横になるよう勧められたこともあった。
ところが、今やⅣ期の固形がんに対する治療は一変している。東病院の大腸外科長を務める伊藤雅昭医師(副院長、医療機器開発推進部門長)も次のように語る。
「森さんも経験された大腸がんで言えば、私が医師になった1990年代当時は、Ⅳ期の患者さんに対して使える抗がん剤も少なく、何もしなければ『余命は半年』と言われていました。その後、使える抗がん剤が増えるにつれて、余命は1年、2年と徐々に延びていきましたが、それでも治療法は基本的に延命治療しかありませんでした。
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