共産党の委員長から国際的なフィクサーへと転身した田中清玄(1906〜1993)。その生涯を取材し、『田中清玄 二十世紀を駆け抜けた快男児』を著したジャーナリスト・徳本栄一郎氏が、その振れ幅の大きい男の実像を解説する。
物書きにとり、これほど妖しい魅力のある男も珍しい。戦前は非合法の共産党を率い、武装闘争を続けて投獄。それが刑務所で転向すると、戦後は右翼の黒幕となって暗躍した。血みどろの反共活動をするが、60年安保で左翼の全学連を支援、世間を唖然とさせた。また中東に乗り込み、王族や石油メジャーと交渉、いくつも油田権益をもたらす。ヤクザに撃たれ、生死の境もさまよった。
その間、昭和天皇を初め、山口組の田岡一雄組長、欧州の名門ハプスブルク家、中国の鄧小平らが入れ代わり立ち代わり登場する。まさに波乱万丈、大河小説のようで、「英雄」「国士」から「政商」「裏切り者」と毀誉褒貶も激しい。だが、その原点は戦前の共産党にあったように思える。
党員というだけで逮捕された時代、仲間を募るのは容易でない。そこで若い田中は、港や造船所の荒くれ男たちに飛び込んだ。一緒に汗まみれで働き、博打もやり、喧嘩があれば助太刀する。何せ空手の達人だから腕は立つ。いつしか「兄貴」と慕われ、そこで勧誘すると「こいつが言うんなら、共産主義ってのも悪くねぇかも」とくる。そうやってシンパを増やしていった。
本人曰く、「一に度胸、二に腕っ節、三、四がなくて、五にイデオロギー」、それは中東でも発揮された。
高度経済成長で日本の電力需要、火力発電用の原油の輸入が急増する。自前の油田を持つべく、田中はアブダビのザーイド首長に直談判した。後のアラブ首長国連邦(UAE)の初代大統領だ。長年の秘書だった太田義人に、こんな話を聞いたことがある。
「田中が狙撃された時の話になってね。体に傷があるでしょ。服を脱いで、ピストルで撃たれた跡を見せたっていうわけ。俺は空手をやるんだ。ここに弾が当たって、こうやって叩いて、相手を押さえて、突き出したと。実演したらしい。そしたら王様が喜んじゃってね。すっかり同志になって、いつでも来てくれってなっちゃった。それが縁です。金とか、商売とかの話じゃないよね」
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