著名人が母親との思い出を回顧します。今回の語り手は、にしおかすみこさん(お笑いタレント)です。
四年前のコロナ禍。何気なく実家の様子を見に行くと、ちょっとしたゴミ屋敷だった。その中で母が居間の座椅子にポツンと座っていた。私が掃除しようとすると「何様だ! 頭カチ割って死んでやる!」と荒れ、そのままダウン症の姉を連れて二階に上がる。本当に死んだらどうしようと後を追うと、二人で各々のベッドに寝ている。……昼寝。何なのだ? 立ち尽くす私の気持ちを置き去りに、母はこのくだりを、少し時間を空けては初めてのように数セット繰り返した。
初期の認知症だったのだが、当時、知識のなかった私にはホラーに見えた。元来ネガティブな発言をしない、しっかり者で一家の大黒柱だった母が立ち行かなくなっている。どうしたものか。ちなみに父は居るが常に酔っ払いなので戦力外だ。実家に戻った。
現在の母はというと。忘れるスピードは速くなったが、徘徊や寝たきりではない。一緒にかかりつけの病院に行く時、電動自転車に乗り毎回スイッチを入れ忘れる。私が後ろから「電源」と声をかけるも、「うるさい! 何でかペダルが重くてそれどころじゃない! あとにして!」と、元気だ。
最近、唐突にこんなことも言う。「ママ、お姉ちゃんのために八〇までは頑張る。その後はもう想像できないねえ。でも生きててやらなきゃ。難儀だねえ」……過ぎている。「今八三歳だよ」と返すと、「うそぉ。そんなバカな。え〜?」と電卓を持ち出しパカパカ打ち始める。頃合いを見て「何歳?」と聞くと、「一六三」。仙人か。何算をしたらそうなった。ともあれ、何かにつけ母の行動や言動には、姉を残しては逝けないという想いがある。
母は看護師として働きながら私たち姉妹を愛情深く育ててくれた。たくさんの困難があったはずだ。それでも私は幼い頃から姉の世話を頼まれたことが一度もない。自分の人生を自由に歩き、女芸人になり三〇歳過ぎてSMの女王様キャラの一発屋となった。そんな様子に母は「どう育てたらそうなった?」とぼやき心配してくれていた。
今尚、私たち姉妹の母でいてくれる。何度忘れても、ド正面から「ありがとうね、大好きだよ」と何回だって伝えるよ。そう思うだけで、照れ臭くて一度も言えていない。
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