「ペリーが上陸したのは久里浜なんですよ」
「あのペリーも浦賀沖に来たけど上陸したのは久里浜なんですよ。その頃は久里浜のほうが寂れていたらしいけど、今は逆転したんじゃないですか」
乗り合わせたおじいちゃんと話していると、あっという間にバスは浦賀についた。浦賀駅前もクルマ通りが多くてにぎやかではあるが、たしかに久里浜より規模は小さそうだ。そもそもペリーが上陸したのは浦賀ではなく久里浜、などという種明かしもされてしまった。
浦賀駅は浦賀港に近い駅だが、その場所は港を見下ろす高台にある。駅前のロータリーからは階段かエレベーター、もしくは駅の脇にある京急ストアに通じる急坂を登って行くことになる。改札口を通ってもさらに階段を登らなければホームにたどり着かない。つまりはホームは相当高い場所にあるということだ。鉄道は勾配に弱いので、港町・浦賀の中心に走らせたくても行けなかったのだろう。崖っぷちのギリギリまで線路を敷いた結果、崖上の終着駅になった。
三浦半島の突端の港町で、ペリーがやってくる以前から江戸湾(東京湾)の守りの要。幕末には浦賀ドックが設けられて造船が行われ、今でも自衛隊の幹部を養成する防衛大学校がある。ただ、駅前にはそうした“防衛の要”の雰囲気はなく、のどかな港町の面影である。ホテルなどはなかったが、飲食店はそこそこあったので夜を明かすにはなんとかなりそうだ。浦賀行の終電は、23時4分品川発で浦賀着は0時46分。酔った会社帰りに各駅停車で座って眠ろうと決めこんで悲劇を呼ばないよう注意されたい。
と、今回はまとめて3つの終着駅を巡ったので、ずいぶん長い旅になった。三男の三崎口からはじまり、最後が3兄弟の長男・浦賀。一番栄えていたのは次男の久里浜であった。長男・浦賀は各駅停車だけの小駅。それでも、崖っぷちから浦賀の町を見下ろす姿はどことなく誇らしげ。そんな浦賀駅で終着駅の旅を終えた。あとは品川に向かって帰るだけ。浦賀発の各駅停車はガラガラで、「これなら堀ノ内駅で乗り換える快特も空いているだろう」と思った。ところがこれが大間違い。快特は三崎口や久里浜から乗ったのであろう乗客ですでに混み合っていて、結局横浜駅まで座ることができなかった。終着駅の旅、最後まで油断ならないものである。
写真=鼠入昌史