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連載昭和の35大事件

2019/09/08

国家が資本家にすさまじい圧力をかけて争議をつぶした

 松岡駒吉は直後の回想で「野田労働争議は、率直にいえば、正しく失敗であった」「悪戦苦闘の効もなく、その大半は粉砕されて、数百名の失業者を出し、蕭条たる悲哀の迫りくるを覚ゆるのである」と述べている(「野田大労働争議」)。

 経緯を見ると、組合と戦っていたのは会社だけでない印象を受ける。正議団や右翼は別としても、前回は調停などに入った県や警察なども今回は争議から距離を置いた。内務省警保局の1928年4月の帝国議会への報告は「警察は、紛争の内容に干渉することなく、厳正公平なる態度を以って、もっぱら両者の行動内偵に努め」としている。さらに協調会の動きで分かるように、会社の背後には政府、具体的には内務省がいたのではないか。時代は大正デモクラシーから変わりつつあった。

 争議さ中の1928年3月15日には、日本共産党の党員ら1500人以上が検挙された「三・一五事件」が発生。争議終結から間もない6月4日には、中国・奉天郊外で「奉天派軍閥」の張作霖が爆殺されている。もはや政府として、これほどの大争議で労働組合側に勝たせることは何としてもできなかったのではないか。国家が資本家にすさまじい圧力をかけて争議をつぶしたというのが実態ではなかったか。

張作霖爆破事件 ©文藝春秋

 しかし、敗北は全くのムダではなかったともいえる。「千葉県の歴史」はこう総括する。「会社側の勝利で争議は終結し、会社側の意向は貫徹された。争議後には、労資間の懇談制度や福利制度など、さまざまな労務管理制度が整えられ、世間一般にとって違和感のないものへと大きく変化した」。ただ、その社会も間もなく戦争によって根底から覆され、人々の生活も崩壊。再び、労働組合に光が当たるのは、敗戦まで20年近くの歳月を要した。

本編「野田スト血戦記」を読む

【参考文献】
▽佐藤真「野田郷土史」 歴史図書社 1980年
▽野田尋常高等小学校編「野田町誌」(大正6年ごろ)=復刻・国書刊行会 1986年
▽財団法人千葉県史料研究財団編「千葉県の歴史通史編近現代2」 千葉県 2006年
▽野田醤油株式会社編「野田醤油株式会社二十年史」 野田醤油株式会社 1940年
▽野田市史編さん委員会編「野田市史資料編近現代2」 野田市 2019年
▽千葉県労働組合連合協議会編「千葉県労働運動史」 労働旬報社 1967年
▽松岡駒吉「野田大労働争議」 改造社 1928年

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