第32期竜王戦七番勝負は、挑戦者の豊島将之名人が4勝1敗で広瀬章人竜王を下し、自身初の竜王を獲得した。この勝利で豊島は二大タイトルを同時に保持する「竜王・名人」となった。
現在の将棋界には8つのタイトルがあるが、その中でも竜王と名人は別格の存在だ。どちらかを持つ限り、他のタイトルをいくつ持っていようが、自身の称号にプラスされることがないこともそれを裏付けている。一例を挙げれば、かつて七大タイトルをすべて獲得しブームを作った羽生善治九段の称号も「竜王・名人」だった。七冠王と騒がれはしたが、日本将棋連盟が認めるオフィシャルな呼称としての「七冠」はなかったのだ。
このことから、「竜王・名人」は棋士として最高の肩書になることはお分かりいただけるだろう。
過去のリストに並ぶのは偉大な棋士ばかり
そして豊島以前の竜王・名人は3名しかいない。達成した順に挙げると羽生善治九段、谷川浩司九段、森内俊之九段となる。竜王戦の前身棋戦である九段戦・十段戦時代を含めても名人との同時保持を実現したのは大山康晴十五世名人、升田幸三実力制第四代名人、中原誠十六世名人、加藤一二三九段が加わるだけだ。
豊島が竜王を奪取した直後のインタビューで「竜王・名人になられた方は偉大な棋士ばかりですので、自分がここまでできるとは思いませんでした」と語ったのもうなずける、そうそうたるメンバーである。
では、過去の竜王・名人誕生の経緯を追っていきたい。
初めて大二冠を達成された舞台は1994年の第7期竜王戦。佐藤康光竜王(段位は当時、以下同)に羽生名人が挑戦し、4勝2敗で奪取。羽生にとっては前期奪われた竜王を取り返す形になった。
棋史に残る舞台となったのは、竜王戦でおなじみの滝の湯ホテル(現・ほほえみの宿 滝の湯)である。改装間もない「竜王の間」で行われた初めての対局だった。
羽生は「ここまで来たら七冠を狙いたい」
また、この勝利で羽生は史上初の六冠王となった。「新しい記録を作れてうれしい。棋士冥利に尽きます。ここまで来たら(七冠を)狙いたい」と語っている。羽生が書いた第6局自戦記(将棋世界1995年2月号掲載)の末尾は、
〈これで“七冠”へのステップを一つクリアしたのですが、まだまだハードルはたくさんあります。
どこまで行けるかこれからもチャレンジして行くつもりです。
それとこの竜王戦のような将棋をこれからも指し続けられればいいなと思っています。確かに内容的には不満が残るのですが、今の自分ではこれぐらいが精一杯なのでしょう。
しかし、一局の将棋で完全燃焼できたその充実感は確かに自分の胸の中に刻み込まれました〉
と締められている。