3位になったぺこぱの漫才の特徴は「ツッコミがボケを否定しない」ということだ。一般的な形の漫才では、ボケが「非常識」な振る舞いをして、ツッコミは終始「常識」の側に立っている。だが、ぺこぱは違った。ボケ担当のシュウペイに対して、ツッコミ担当の松陰寺太勇は決してストレートにツッコんだりしない。オーソドックスにツッコむと見せかけて、途中で言葉を変えてボケに対して理解を示す。
そもそも松陰寺はツッコミでありながら見た目もしゃべり方も動きも奇妙で、どちらかというとボケっぽく見える。そんな彼が必死で相方のボケを肯定しようと奮闘しているところが斬新だった。
かまいたちの漫才は何が新しかったのか?
2位のかまいたちの漫才は、構造としてはボケとツッコミの役割分担がはっきりしていて、オーソドックスな形に見える。ただ、彼らが特殊なのは、ボケがツッコミよりもはるかに強いという点だ。ボケ担当の山内健司は力強く自説を主張して、何を言われても構わず、それを押し通そうとする。
特に、1本目に演じた「USJとUFJを言い間違えたことを頑なに認めない」という設定の漫才ではその強引さが際立っていた。漫才を見ている側は全員、山内の方が間違ったことを言っているのを分かっている。それでも、山内は一歩も引かず、すさまじい迫力で自らの正当性を訴える。
ツッコミ担当の濱家隆一は、何とか山内を常識の側に引き戻そうと奮闘するが、山内の暴走が限度を超えると、観客の方に向き直って自分の正しさを再確認しようとする。観客の代弁者としてどっしりと構えていなくてはいけないはずのツッコミが、ボケに圧倒されて思わず不安げな態度を見せた。このように「ツッコミがボケに力負けしている」という関係性を示したところが新しかった。
ミルクボーイが見せた“革新的な構造”
優勝したミルクボーイの漫才は「ツッコミがボケを理解しようとする気持ちが強すぎる」という特徴があった。1本目の漫才では、ボケ担当の駒場孝が「母親が好きな朝ごはんの名前を思い出せない」という話を振って、その特徴を順番に述べていく。駒場が「甘くてカリカリしていて牛乳をかけて食べる」という特徴を言うと、ツッコミ担当の内海崇は「コーンフレークやないか」と答えを言い当てようとする。
だが、駒場が「死ぬ前の最後のご飯もそれでいいと言っている」と次の特徴を言うと、内海は「ほなコーンフレークと違うか」と意見を翻す。コーンフレークらしき特徴とそうではない特徴を交互に言い続ける駒場に対して、内海はそれを真摯に受け止めて、答えを探ろうとする。
ひとつひとつのやり取りの中には非常識な点は何もない。確かに、コーンフレークらしき特徴とそうではない特徴を交互に繰り返す駒場は、総合的に見ればおかしいことを言っている。だが、内海はその根本的なおかしさには立ち返らず、個々の特徴だけをどこまでも吟味し続ける。ツッコミがボケを理解しようとするあまり、いつのまにか非常識の側に足を踏み入れてしまっている。その構造が革新的で、1本目ではM-1史上最高得点となる681点を記録した。