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――15歳でアメリカ留学されて、ブラウン大学、コロンビア大学大学院で理系の勉強をされていたそうですが、最初は俳優を目指していたわけではなかった? 

「俳優になろうとは考えてなくて、周囲には医者か弁護士になると言っていました。そう言っておけば、みんな放っておいてくれる、それくらいの緩さでした(笑)」 

 

――英語はそこで実践形式で学んだ。 

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「最初はちんぷんかんぷんでしたけれど、自分で選んで行ったから楽しかったですよ。アート系の学校がそばにある自由な環境も良かったです」 

――大学院を中退されて2002年、俳優として活動をはじめ、04年に、蜷川幸雄さんがイギリスでイギリス人俳優による『ハムレット』を演出したとき、唯一の日本人として参加されます。それが海外で仕事をする最初の経験になりますか。 

「まだ俳優活動を始めたばかりの頃で、蜷川さんになんでもいいからやらせてほしいと手紙を書いたら、劇中劇の王妃なら空いていると言われて飛びつきました。ロンドンのほかイギリス8ヶ所、3ヶ月かけてツアーで回りました。そのとき、劇中劇の王をやった俳優と、『Giri/Haji』のロドニー役の俳優が親友同士だったんですよ! 15年経ってつながるなんて感無量でした」 

「日本人はこうです」だなんて、僕らだって定義しきれない

――コラボレーションするにあたり、欧米人の日本に対する認識をどう思いますか。 

「特に思うことはない……んですよ。もちろん、日本には侍がいるんでしょ? と偏見で聞かれたら、いないよと言いますが(笑)。侍みたいな人ならいるじゃないですか。見た目じゃなくて精神が侍みたいな人は。それと同じで、日本人はこうですと当事者である僕らだって定義しきれない。

 

 忍者ものの『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』で描かれる日本はそれこそ誇張したカリカチュアライズされたものですが、エンターテインメントとして成立していれば気になりませんし。僕らが本当の織田信長を知らないのと同じですよね。

 以前、三谷幸喜さんが脚本を書いた大河ドラマ『真田丸』で僕が演じた武田勝頼は、それまではダメな人物という認識をされていましたが、三谷さんがそうじゃないふうに描いたら、喜ぶ人もたくさんいました。ちょっと誇張したりちょっと間違ったりしても対象にリスペクトがあればいいんじゃないかと思います」 

――最近、海外に出ていく日本人俳優が増えていますが、情報交換するなどの交流はありますか。 

「僕は海外志向をもった俳優たちと勉強会もしています。英語の勉強ではなく、英語で演技をする勉強です。英語がある程度話せる者たちが集まって、英語の台本で本読みをしています。そしてオーディションの話が来たらみんなで手伝い合うんです。オーディション用のテープを撮るために。相手役をやったり、芝居をお互いに見てああだこうだ意見を言い合ったりしています」 

――着実ですね。 

「生まれたばかりの子供と妻をつれて、十代の時のように漠然とした夢を追うほど馬鹿じゃないつもりで(笑)、『クレイジー・リッチ!』をはじめ、欧米で、アジア人が生きる場所が確実にできつつある今、そこに挑戦しない手はないだろうと思います。『Giri/Haji』と『G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ』を経て、自分が生きることのできる場所がこっちにあるんじゃないかという手応えを感じたからこそ、この運がどこまで続くか試してみたいんです」 

 

写真=深野未季/文藝春秋