先日開催された第43回日本アカデミー賞授賞式においては、『新聞記者』が最優秀作品賞・最優秀主演男優賞・最優秀主演女優賞の3冠に輝き話題となった。

 米国の映画芸術科学アカデミー(本家アカデミー賞の選考などを行っている団体)より正式許諾を得て1978年に誕生した同映画賞は、「日本映画人による日本映画人のための日本映画の祭典を」という理念を掲げ、日本の歴史ある映画賞のひとつとして今日まで存在し続けている。

昨年度、最優秀助演男優賞に輝いていた松坂桃李は、今年『新聞記者』で最優秀主演男優賞を獲得した ©文藝春秋

 大して映画に興味を持たない人にとってはここで終わる話だが、この映画賞には否定的な意見や感想もある。映画監督としてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞も受賞している北野武さんが「最優秀賞は松竹、東宝、東映、たまに日活の持ち回り。それ以外が獲ったことはほとんどない。アカデミー賞の会員なんてどこにいるんだ。汚いことばっかやってる」と痛烈批判したこともあった。

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 確かに今年の日本アカデミー賞ノミネート作品と、「キネマ旬報」「映画芸術」「映画秘宝」等の映画専門誌において選出される年間ベスト作品を見比べて見ると、その顔ぶれは大きく違う。どうしてここまで作品が違ってしまうのだろうか。

「良い映画」の基準とは

 ところで、「良い映画」の定義とは何だろう。号泣できる映画、爆笑できる映画、恐怖できる映画、勇気がみなぎる映画、考えさせられる映画など、どんな形であれ、観る者の心を強く突き動かすことのできる映画のことを指すのだろうか。それとも、圧倒的な集客や興行収入を誇る映画のことを指すのだろうか。

 もちろん、どちらの要素も兼ね備えている映画は存在するし、本来であればどの作品もそう在るべきだと思う。だが、日本においては必ずしもそれが成立するとは限らない。むしろ、どちらか一方になりがちな場合が多い。

深作欣二、山田洋次、渥美清らが並ぶ1983年日本アカデミー賞 ©文藝春秋

 ここで知っておいて頂きたいのが、「東京地区の同一劇場で1日3回以上、かつ2週間以上継続し上映された作品」という日本アカデミー賞の選考基準。どんなに良い作品であっても、観さえすれば確実に観客の心を突き動かせる作品であっても、選考基準を満たしていなければノミネートされることすらない。こうしたルールから日本アカデミー賞と各映画専門誌とでは「良い映画」の基準が違うのだ。とは言え、一部作品を除き、各専門誌のベストテン上位の作品は殆どが選考対象に入っている。

 では、具体的に日本アカデミー賞作品賞ノミネート作品と、各専門誌のベストテン作品を比べてみよう。