「週刊文春」3月26日号に掲載された「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が大きな反響を呼んでいる。このスクープを取材・執筆したのは、大阪日日新聞の記者である相澤冬樹氏だ。長きにわたって粘り強く取材し、遺書公開にこぎつけたが、今回のスクープ、すべての始まりは相澤氏がNHKを辞め、自殺した財務省職員・赤木俊夫氏の妻と面会したことだった。相澤氏の来歴、そしてNHKを辞めるまでの経緯とは――。著書「安倍官邸 vs. NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由」(文藝春秋)から「はじめに」を全文公開する。

赤木氏が妻に宛てた「メッセージ」(右)と死の2日前のメモ(左)

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NHKを辞めた日の出来事

スクープした相澤冬樹氏 ©文藝春秋

 この夏、2018年(平成30年)8月31日、私はNHKを辞めた。31年間、記者として勤めたNHKを退職した。

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 この日、NHK大阪放送局の最上階、18階の局長室で、私は角英夫局長から退職辞令を受け取った。角局長は10年ほど前、私が大阪でニュースデスクをしていた時に大型番組の担当でお世話になった人。大阪の局長になってからも、司法担当記者としての私の仕事に理解を示してくれた。私は局長にお願いした。「最後に一緒に記念写真を撮らせてください」そして2人並んで写真に収まった。

 それから数時間後。上司を通して角局長から伝言があった。「あの写真はSNSなどにアップしないように」……もとよりそのつもりはなかったが、私は自分が思い違いをしていることに気づかされた。局長が理解を示してくれたのは、記者としてデスクとしてNHK報道の仕事に邁進していた私であって、記者を外され退職の道を選んだ私ではないということに。人はしばしば相手の置かれた立場によって態度を変える。心しなければ。

 では、なぜ私はNHKを辞めたのか? それは記者を外されたから。記者の仕事を続けるため、森友事件の取材を続けるため、私はNHKを辞めて大阪日日新聞に移った。

NHKに就職、阪神・淡路大震災に直面

 1987年(昭和62年)。昭和の終わりに大学を出た私はNHKに就職。初任地・山口で記者の産湯をつかい、原発誘致で大揺れの上関町、瀬戸内海の密漁の実態、保守政界が真っ二つに割れた山口県知事選挙などを取材し、記者の基礎を学んだ。同時に、維新のふるさと長州で吉田松陰先生の思想に染まり、より大切な、人としての道を学んだ。

 次いで事件の本場・神戸でサツ回りの修業を重ね、95年(平成7年)、阪神・淡路大震災に直面。震災半年で避難所を閉鎖しようとする神戸市に対し、神戸局の記者が家族まで総出で避難所での聞き取り調査を行い、避難所を出られない被災者の思いを私が右代表でリポートした。NHK神戸ニュースの総力を挙げた調査報道だったと思う。