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志願して記者に戻り、森友事件に出会う
その後、取材現場を外れて東京でBSニュースの制作担当者の一人になるが、11年(平成23年)の東日本大震災で「やっぱり現場取材」と思い定め、翌年、志願して記者に戻してもらい、再度、大阪へ。子どもの自殺をなかったことにする学校現場と教委を告発する番組、大阪市立桜宮高校の体罰自殺事件、生活保護の現場の取材を経て、大阪府北西部の豊中市と近隣市町の地域担当に。
そして16年(平成28年)7月、大阪司法担当キャップを任された。ここで森友事件と出会い、「これは天命」と感じて取材する。そして迎えた18年(平成30年)6月の人事異動……記者を外された私は、NHKを辞めて大阪日日新聞に移籍することを決意した。
「森友事件」は国と大阪府の事件である
森友事件は森友学園の事件ではない。国と大阪府の事件である。こう言うと違和感を持つ方が多いかもしれないが、おかしなことをしたのは森友学園ではなく、むしろ国と大阪府の方だ。なぜそう言えるのか? それを読者・視聴者に説明するのが私たち記者の務めだ。そのためには、根拠を示すことが欠かせない。
この本で私は、自分が森友事件をどのように取材し報道したか、そのプロセス、つまり記者の企業秘密を明かすことにする。根拠を示すためにそれが欠かせないと考えるからだ。取材源の秘匿との兼ね合いに配慮しつつ、取材先や関係各方面の方々のご理解もできる限り頂いて、極力明かすことにする。そして、森友事件の報道の背後で何が起きていたのか、森友事件の真の問題点は何かを明らかにしたいと思う。