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「なんでもすぐ調べたくなる」“普通の会社員”だった川越宗一さんが41歳で直木賞作家になるまで

『熱源』誕生の舞台裏に有働由美子さんが迫る!

note

なんでもすぐ調べたくなる

有働 数行の解説を読んだだけでそう思ったんですか?

川越 はい。僕にはもともと、なんでもすぐ調べたくなる“癖”がありまして。食事中に醤油を使ったらふと、そもそも醤油って賞味期限どれくらい持つのか調べだしたり、トイレットペーパーを切らしたら「そういえば、人類はいつから紙を使ってるんやろ」とスマホで検索してみたりするんです。

有働 すごい癖ですね。それでピウスツキについても調べ始めた。

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川越 はい。調べていくとびっくりするほど壮大な人生でした。彼の弟は、ポーランド独立の英雄なんです。古い友人にレーニンの兄がいたり、南極探検に参加したアイヌ人と知り合いだったり、東京で大隈重信と会って、二葉亭四迷と友達になったり。誰かこの人を漫画や映画にしてくれないかと思ったぐらいです。

川越宗一さん ©文藝春秋

有働 自分で書いてみたいとは思わなかったんですね。

川越 その頃はまだデビュー前。そもそも自分で小説を書いたこともなかったですから。「誰かが小説にしてくれたら読んでみたい」という感じでした。ただ、それから数年経って、状況が変わりました。2018年7月に僕の長編第1作『天地に燦たり』が刊行されまして。担当編集者と「次回作はどうする?」という話になったのです。

有働 小説を書き終えたのはいつですか?

川越 19年の7月末です。1年と少し執筆していたわけですが、いま思い返すと、大人になってから一番短い1年間でした。『熱源』を書いている時は文章を書いてるか、調べものしているか、会社で働いているか、その3つしかやってないんですね。本当ならむちゃくちゃ退屈で、長く感じるはずですけど。それだけ集中してたんだと思います。

出典:「文藝春秋」4月号

「文藝春秋」4月号(3月10日発売号)および「文藝春秋 電子版」に掲載中の対談「直木賞『熱源』は“調べ癖”から誕生した」では、奥様からの「深すぎるアドバイス」、A4一枚から始まる創作方法、大好きだったプラモデル雑誌や、次回作の「鄭成功の物語」などについて、たっぷりお話いただきました。ぜひ合わせてお読みください。

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「なんでもすぐ調べたくなる」“普通の会社員”だった川越宗一さんが41歳で直木賞作家になるまで

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