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「原子炉の中で飯食ってるようなもん」 3.11後、原発協力会社幹部が明かした“実態”

『ヤクザと原発 福島第一潜入記』より #19

2020/12/06

 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1F勤務した様子を『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の1回目/後編に続く)

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線量より汚染度

 暴力団専門ライターという看板をウリにしながら、シノギとしての原発という暴力団の経済活動の一分野を、具体的に掘り下げたことがなかったので、驚かされることが多かった。驚愕は東電関係者や協力企業社員に対する取材でも連続した。

 現場に入っていたため、見えなかった部分は多かった。狭く深く内情を知ることは出来ても、1F復旧の全体像が分からない。1Fの司令塔である免震重要棟のど真ん中に潜入するのは実質不可能で、東電がなにを考えているのか、原発産業の構造はどうなっているのか、問題の本質を知りたいなら末端の作業員になる必要はなかった。現場潜入というスタンドプレーなどせず地道に業者を取材するのが最短ルートだったろう。実際、1Fに潜入して手にした情報は1F復旧の一部分に過ぎない。

 日立、東芝、IHI……これらの企業は原発業者の間で「メーカー系」と呼ばれる。そのメーカーでさえ、自分の担当部署の限られた情報しか持っていない。高揚感と自己満足から抜け出し、冷静になればなるほど、周辺取材の重要性に気づかされた。すべてを知っているのは、東電関係者のごく一部だけだ。

©iStock.com

 周辺取材で最初に分かったのは、私の潜入が極めて危険な行為だったということである。

 放管手帳をみると、1カ月半の勤務で私が浴びた放射線は2ミリシーベルト弱(クイクセルバッジの値が確定していないので推測)、自身の携帯した線量計の値が0・76ミリシーベルトだったので、わずか3ミリにも満たない被曝量だ。が、業者たちは「線量より汚染度が問題だ」と口を揃える。まず指摘されたのは、潜入前に出かけた正門付近の撮影だった。

「無謀すぎる。変態の域を超えてる。知らないって幸せですね。すっごい被曝してるはずですよ。当時正門付近はホットスポットで、測定器を振り切ってしまうんで、モニタリング・ポストを正門から西門に移してたほど。それに汚染したタイベックを着たまま車に乗るなんて無謀です。車内でバサバサやって、舞い上がった放射性物質をかなり吸ってる。連れていってくれた業者、嫌がってたでしょ。その車、もう駄目っすよ。買い換えたほうがいい」(1Fの協力会社幹部)