「親分が『白いものを黒』と言ったら、それに従う」
「親分が『白いものを黒』と言ったら、それに従うというのがまさにそれだ。この親分に付いて行くと決めたなら、子分として尽くす。親分が殺されるようなことがあれば敵討ちに行く。
相手が誰であろうが、その相手のことを全く知らなくとも行かねばならない。親分がやられたという以外は、個人的な怨恨など何もなくてもだ。一般社会には全く理解できないだろうが、組のため、親分のためとなる。こうした不条理を納得するということだ」(同前)
最近は、暴力団排除条例に抵触するとして、「親子盃」を交わすための会場を外部で貸してくれる店や施設が少ないため、大きめの広間がある暴力団関連施設などで行うことが多いという。
「当時の盃は自宅の神棚に飾って大切に保管している」
前出の指定暴力団幹部が続ける。
「組織によって違いがあるだろうが、親分から盃をおろされてヤクザになりましたとなると、世間では実の親子とは縁を切ることになると思われるだろうが、そうではない。血のつながった実の親や家族は、自分の実の親であり実の家族だ」
別の首都圏に拠点を構える指定暴力団の古参幹部も、次のように話す。
「本当の親と全く付き合わないとか、絶縁するわけではない。自分の場合はかつて実の親が死んだときには、多くの組の幹部たちが香典を包んで葬式に来てくれた。
もう数十年も前のことだが、自分も含めた若い衆が何人かで同時に親分から盃をもらった。実際に酒を飲みかわすということもやった。盃を交わすのは、実の親と縁を切るということよりも、親分の組織に正式に加入するという決意表明のようなもの。当時の盃は自宅の神棚に飾って大切に保管している」
「親子盃」は他人であった親分と“親子関係”になることだが、暴力団業界には「実の親子ともにヤクザになるというケースも多い」(前出・古参幹部)という。
最も有名な例は現在、国内3番目の組織となる稲川会を創設したカリスマとして知られる稲川角二(1914~2007年)とその息子、裕紘(1940~2005年)だ。
裕紘は稲川会の3代目会長として後を継いだ。実の親子であるとともに、ヤクザとしても親子ということだが、親の角二よりも先に病死してしまった。