私は「ここではマジメにやるぞ」と決意していたからその一心、自分でもおどろいたがたちまちに昇級があいつぎ、半年で二級にまで進んだ。1週に本6冊、見張りなしの自由行動である。それでも仲間との会話は許されない。そのときは一級がおらず、二級も私1人であった。
原隊復帰の可能性も出たからいよいよはげむ、とこれでは修身の教科書だが、実は意識した点数かせぎをやったのである。
毎日10ページの日記をでっちあげる
修養の時間に、日記を書くことが課せられていた。採点や罰の対象ではなく、その内容を精神向上のバロメーターとして、監察の材料にされたわけである。私は「おそらくほかのヤツラは怠けるんじゃないか、よし、俺はショッキングにやろう」と考え、大学ノートの日記帳を修養録と名付けて、毎日10ページ書くことにした。これはキイたらしい。
私としては腹の中で笑いながらのデッチアゲなのだが、これが意外に骨が折れた。週番士官が読み、部隊長が読んで、朱筆がはいる。ほかの連中は書くのが苦手だったり、ふてくされて「今日は晴」とか、がんばっても「今日の作業は楽しかった、食事がうまかった」くらいだから、1ページが5日にも10日にも使える。そこへ1日10ページだからめだたないわけがない。しかも、かなりカッコのいいことをひねって書く。
「こんなわれわれのために不寝番をしてくれる、派遣兵の気持がありがたい」
「姫路城を背景に白衣の天使と傷病兵を見るとき、私は断腸の思いである」
「私は道をまちがえたが、一日も早く原隊に復帰してご奉公したい」
これが毎日となると、変化をつけ、表現をかえ、1年つづけて3600ページ。流行作家もかくありなんという苦労であった。
教化隊生活の楽しみは……
さらにここでも私の特技が身を助けた。部隊長の戦況解説に説明図を書くことになり、仲間が開墾に汗を流しているときに、ブーゲンビル島やニューギニアを楽しんで書くこともできた。もちろん、ふつうに仕上げる時間の10倍もの時間をかけて、である。
教化隊生活の楽しみといえば、1日おきの入浴、日曜日の甘味品配給であった。もちろん外出はないし酒保もない。酒もタバコも許されていないから、大福やアンパン、羊かんに目の色をかえたものである。日曜日ごと、洗面所の陽だまりが即席の床屋になる。仲間同士がバリカンやカミソリを使うのだが、口もきけず、衛兵の銃口つき、厳重な監視下に奇妙な団らん風景であった。
会話禁止といっても、衛兵はあまり近づくといつ不意をおそわれるかもしれず、5メートルほど離れての監視だから、作業中でも休憩中でも、こっそりと片言隻句のおしゃべりを楽しむこともできた。それくらいではとても仲間たちの前歴までは知り合うわけにはいかない。