二一世紀が電脳の時代なら、二〇世紀は動力(モータリゼイション)の時代である。そして「二〇世紀の恋人」自動車が表の主役なら、裏の主役はトラクター。異色の技術史である本書は、「トラクターの世紀」を描いて痛快だ。
農作業でもっともつらいのは、土の掘り返し。だから大昔から、人類は牛や馬を相棒に、土と格闘してきた。一八九二年、米国でトラクターが誕生。農民は手間のかかる牛馬の世話から解放され、爆発する人類の胃袋を大量生産で満たすことに成功した。はずだった。
光強きところ、陰も濃し。
作家のスタインベックは代表作「怒りのぶどう」で、トラクターに怒りのペンをふるった。機械で大量に土を掘り返すトラクターは、濫用すれば土地が乾き、荒廃する。作品のモチーフとなった米中西部のダストボウル(大砂塵)は、トラクターが一因だった。
一九三〇年代にダストボウルが起き、土壌浸食は飢饉をもたらし米経済は混乱、ついには大恐慌を引き起こし、政情不安からドイツのファシズムとロシアの共産主義の衝突に向かった……。本書が紹介するこんな歴史認識も、一面の真理を突く。「トラクターがファシズムと共産主義を生み出した」とも言えるのだ。
トラクターと独裁者は切っても切れない仲にある。ヒトラーもスターリンも毛沢東も日本の軍部も、国産トラクターの生産に血路を見いだした。戦車も、履帯トラクターからヒントを得た殺人機械なのだ。
「トラクターと戦車はいわば双生児であり、ジーギル博士とハイド氏のようにドッペルゲンガー(二重人格)の機械であった」
トラクターは今も進化を続ける。近い将来、AIが遠隔操作するトラクターが出てきても不思議はない。それが、輝かしい未来だとは思えない。農民を農地から追い出す新たなエンクロージャー(囲い込み)ではないか。トラクターとは、「農業そのものを農地の外からの管理作業に変え、人類史から消滅させる試みの始まり」とも言えるのだ。
ただ、そうした資本の囲い込みから脱する方策も、本書の延長線上、わずかに光が差す。著者が詳述する日本企業得意の廉価な小型トラクター(歩行型トラクター)だ。全国に農地は余り、小型トラクターも納屋の隅で眠っている。それを使わせてもらう。あるいは数人で〈共有〉する。
自分で食うものは、自分で作る。獲る。釣る。
地産地消ならぬ、個産個消。百姓であり猟師でもある評者は、わが手のマメと本書とに、二〇世紀の夢のその先を、感じている。
ふじはらたつし/1976年北海道生まれ。島根県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科を中途退学。現在、京都大学人文科学研究所准教授。農業史専攻。2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞。著書に『稲の大東亜共栄圏』『食べること考えること』など。
こんどうこうたろう/1963年東京都生まれ。大分県在住。ライター兼百姓兼猟師。著書に『おいしい資本主義』『リアルロック』等。