悲しみや絶望を歌うポップ・ソング
『ラストナイト・イン・ソーホー』は全編に60年代のポップ・ソングが流れる。血みどろのホラー場面にすら甘いメロディのラブソングがかぶせられる。それは一見、対位法(凄惨な場面に美しい音楽を流したりする手法)のようだが、使われている歌の歌詞をよく聴くと、どれも悲しみや絶望が歌われている。
たとえばエロイーズが憧れのロンドンに歩みだしていく時に流れるペトゥラ・クラークの「ダウンタウン」は、曲は明るく元気だが、歌詞には「一人ぼっちでつらくなった時、ダウンタウンに行けば誰かに会える」と、孤独が隠されている。
「まったくそのとおりだよ。そこに気づいてくれてうれしい。僕が選んだ歌はみんなそうなんだ。そういうメランコリーが隠された歌に僕はいつだって魅了される。ピーター&ゴードンの『愛なき世界』がいい例だよ。シラ・ブラックの『ユー・アー・マイ・ワールド』もそう。彼女の『恋するハート』もそう。どれも美しいメロディの奥に深い悲しみが歌われている」
若い世代へのお仕置きのような風俗映画
サンディはソーホーの闇の底に深く深く呑み込まれていく。エドガー・ライトは1960年代に作られた風俗映画を参考にした。たとえば『ビート・ガール(邦題:狂っちゃいねえぜ)』(1960年)は、父親の再婚に反発した10代の少女がビート族(反抗的な若者たち)に身を投じ、クリストファー・リー扮するストリップ・クラブのオーナーに誘惑される。反抗した少年少女は痛い目にあって反省する。
「『ビート・ガール』は当時の若者の風俗を興味本位で取り上げたB級映画だけど、とても保守的で、反抗的な若い世代へのお仕置きのような物語だ。ジョン・シュレシンジャー監督の『ダーリング』(65年)は『ビート・ガール』と比べるとはるかに立派な映画だけど、そのテーマは似ている」
『ダーリング』のヒロイン、ジュリー・クリスティは60年代ロンドンを象徴するような自由奔放なファッション・モデルで、モラルに縛られずに次々と違う男とセックスし、TVのディレクター、広告代理店の大物と男はグレードアップし、ついにはイタリアの公国の王子に見初められてプリンセスになる。でも、彼女の心はいつも虚しい。
「そういう映画のメッセージは面白い。つまり、あまりにも急激に解放されていく時代に対して旧世代がパニックを起こして、若い世代を懲らしめようとしたんだ。で、僕は考えた。その映画の世界に現代の女性が迷い込んで、60年代の女性を救おうとしたら? それが『ラストナイト・イン・ソーホー』だ」