手術の背景にあった「コンプレックス」
ーー性別適合手術を受けたかった理由のひとつに、「当時の男性の恋人との関係が深くなるにつれて女性の体を手に入れたい思いが強くなった」と仰っていますが。
はるな たとえば一緒に海に行っても、水着を堂々と着ることができなかったりとか。ダブルデートで温泉に入っても、ものすごく下の部分を意識して必死になって隠そうとしたりね。そういうのがあったので。私もちゃんとした女の子になりたい気持ちが強まっていました。
でも、今思えば彼はそうじゃないところで私を好きになってくれていたと思うんですよね。実際、「手術なんてしなくていいんじゃない?」って言ってくれたし。
ーー手術後に恋人と性行為に及んだら「女の子みたいだった」と言われたと。さらに、この言葉が「女性の体に近づけば近づくほど、自分が求める“女性”はどんどん遠のいていく」と感じさせたとも。
はるな 私を愛してくれていたと思うんですけれども、手術後に愛し合った時に「女性みたいだった」と言われたのが、ほかの女性と浮気したような言葉に聞こえたんです。私じゃない、別の人と愛し合った感想のように聞こえちゃって。
自分の体なのに、自分の体に嫉妬しちゃうというか。これは理解できないと思いますけど、なんかそういう気持ちになって。
さらに「手術なんかしなくていいとか言ってたけど、結局は女の子の体になったほうがよかったんでしょ」って。すごく被害妄想なんですけど、私自身よりも、女の子の体がいいんでしょっていう。相手はそんなこと、ひとつも思ってもなかったでしょうけど。
26歳の時、母が「一緒にお風呂に入ろう」と
ーーお母様ははるなさんの“性”に否定的だったそうですが、26歳の時に「一緒にお風呂に入ろう」と言われたそうですね。
はるな 心境の変化があったんでしょうね。うちの両親は離婚しているんですけど、私は離婚してから母の気持ちを考えるようになったんですよ。
ニューハーフとして働きながら、当時の恋人と母の面倒を見ているうちに、母の方も私を理解してくれるようになって。「この子は自立して、こうやって彼と生活してるんだ」というのを目にして、「この子は私のことをこうやって思ってくれるんだ」って。そこで女の子、娘として思ってくれるようになったんじゃないかなって。
お母さんが新しい旦那さんと住んでいる家を訪ねたら、女物のパジャマを用意してくれたし。そうやって、お母さんも理解しようと努力してくれてたから。
私の人生を理解しようという優しさからの「お風呂に入ろう」やったんだなって。もちろん、私の体がどうなっているのかも知りたかったろうし。でも、そのやりとりはギクシャクしたところはなくて、ごくごく普通の母娘って感じでした。
写真=鈴木七絵/文藝春秋
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