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テキパキ働き続ける中国人

 主催グループの「指揮部」は、この日の会場である新宿駅南口のすぐ近くの貸し会議室を8時間レンタルし、臨時の「基地」を設営していた(「指揮部」や「基地」は彼らの表現である)。グループのメンバーは70人ほどらしいが、基地に出入りしていたのは25人ほど。見た限りでは、男性9割女性1割の割合である。

 全員に確認したわけではないが、何人かの証言や従来のネット上の動きとの連続性、平日の昼間に長時間活動できている事実などから考えて、過半数は留学生だろう。しかも、かなり頭のいい大学の学生だ。

 2014年の台湾のヒマワリ学運や2019年の香港デモと同じく、白紙運動のメンバーも交通整理班、物資調達班、後片付け班などの役割分担をおこなっていた。大量のトランシーバーや、顔を隠すためのお面をはじめ各種の変装道具、屋外用のバッテリー、追悼に用いるLEDキャンドルなどは、メンバーでお金を出し合って調達したらしい。活動の内部文書を見ると「不分化、不割席(仲間を疑わず分裂せず)」など香港デモの用語もすこし混じっている。

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調達したお面とともに「基地」で作戦会議をおこなうメンバーたち。©Soichiro Koriyama

 基地となった会議室では、19時からの集会で使う立て看板や小道具の製作、スピーチライティングの準備などがものすごい速さで進んでいた。結果的にいえば、その後の集会では十分に役立てられなかったものもあるのだが、この時点ではかなりテキパキ動いていた印象で、1人も手持ちぶさたの人がいない。

 この日、私は普段ボドイ(ベトナム人の逃亡技能実習生)取材を一緒にやっているカメラマンの郡山総一郎と一緒に来ていた。主催グループの若者が猛烈な勢いで効率的に動き回る様子を見て「やばい、中国人は優秀だ」「高学歴の留学生すごい」と、普段見ているディープな光景とのあまりのギャップに感嘆したのは事実であった。

追悼のために胸に貼るリボンを準備する女性メンバー。©Soichiro Koriyama

 開始前は、メンバーたちはいずれも緊張した表情だった。「終わってから打ち上げはするの?」と尋ねた私に「追悼のための集会なんです。本来ならやるべきではないこと。嬉々として打ち上げをやる気にはなれません」と硬い表情で答える若者もいた。

目立ちたがる活動家にジャックされる集会

 とはいえ、万全の準備にもかかわらず、集会はかなり混乱した。強硬な「反中国」を掲げる市民運動は、日本では2008年春のフリーチベット運動からもう14年もおこなわれている。それらの活動家が旗やプラカードを現場に盛んに持ち込んだことで、外から見るとかなり極端な(しかも従来の日本の右派の市民運動と変わらない)集会に見えてしまったからだ。