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 12月2日付時事新報はこう書いた。判決は検察側の主張をほぼ認めて謀殺罪を適用。死刑に処すべきところ、情状を考慮して無期とした。

判決のその瞬間、紀義は…

 判決を受けた時の紀義の表情を報知はこう書いている。

「『死刑に処す』という所に至って顔色は動かなかったが、『べきのところ、一等を減じ無期徒刑に処す』と読み上げられ、弁護士が顔を見た途端、紀義もまた弁護士の顔を見て『ヤレヤレ』と思ったように少し笑みを含んだように見えた。哀れ、この凶漢、落ちるべき首をつながれた」

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控訴審が下した想像を超える判決「みんなあっけにとられた」

 東京控訴院での控訴審でも紀義の態度は変わらなかった。裁判は淡々と進んだように見えたが、翌1898(明治31)年11月10日の判決は予想外の内容だった。11日付読売は端的な見出しを付けている。「松平紀義は刑事被告人の資格を具備せず(検事の手ぬかり)」。12日付東朝に掲載された判決主文と理由にはこうある。

「検事の控訴は棄却する。原判決を取り消す。本件控訴は受理すべきでなかった」

「一般的に控訴を提起するには、一定の人を指称することが必要。被告人の氏名が明らかな場合は氏名、明らかでない場合は人相や特徴を指示するか、その他の方法で確定した人であることを表示させなければならない。それなのに、昨年4月27日付の本件起訴状には、単に『氏名不詳、男1人』とだけしか記載しておらず、果たして誰を指称したものなのか明瞭でない。すなわち一定の人を指称した起訴と認めることはできない」

 起訴無効という結論だった。11日付東朝は「案外千万な言い渡し」と書き、森長英三郎「続史談裁判」(1969年)は「みんなあっけにとられた」としている。同書は次のように説明する。

「条文ではこの判決の言う通りであるが、実際は…」

「みんなあっけにとられた」控訴審判決(時事新報)

 同年5月9日付の検事から予審判事への書面も、被害者は御代梅この、犯人は松平紀義であることを通知しただけであって、この書面が無効の起訴を有効にするいわれはない。検事の起訴なくして予審の処分に着手し得るのは現行犯の場合に限るが、この事件は現行犯ではないとしたのである。

 この判決が起訴状について言うところは、旧刑事訴訟法でも現行の刑事訴訟法でも条文の上で明らかにしており、条文ではこの判決の言う通りであるが、実際は条文を無視した起訴が行われ、裁判所もこれを見逃していたようである。それを条文に引き戻したのがこの判決であって、大胆であったとはいえる。

 条文上は不備であっても慣行で済ませてきたということだろう。検事はやむを得ず釈放命令を出したが、紀義が収容されていた鍛冶橋監獄署の門を出ないうちに誣告罪で「別件逮捕」。同時に上告した。誣告罪が何かをめぐっても話題になったが、検察側はしたたかだった。