10年先、20年先、新聞ビジネスは続くのか?
高橋 まずは日経新聞での社歴から伺ってもいいですか?
後藤 2004年に入社して、基本的には金融市場、株や為替の動きと、あとは日本銀行担当、つまり、金融政策を半分以上の期間やってきました。2019年の春から2年半はニューヨークにいて、最後の半年間は日銀の“キャップ”といって、現場の記者を集めて責任を持って取材をして、原稿を仕上げていくという仕事です。
高橋 普通の会社で言うと、課長みたいなものですか?
後藤 ですね。部活のキャプテンをイメージしてもらうと分かりやすいですけど、5~10人の記者のチームがあって、そこのキャプテン役です。記者たちを統率しながら現場責任者として紙面の案を作って、それを上のエディターと呼ばれる人たち、デスクやもっと上の人の指示を受けて“作品”を仕上げていく役割です。
高橋 日経新聞の中でもMOF(財務省)や日銀担当というのは、エリート・オブ・エリートの匂いがするんですけど、そんな日経新聞のど真ん中にいたキャップの方が辞めるって……率直に聞きますけど、どうして辞めたんですか?
後藤 仕事が嫌になったとか、つまらないとか、喧嘩したとかではないです。日経新聞は今も影響力の大きい媒体だと思いますし、日銀に取材する場合でも、日経に所属しているからこそ会える人もたくさんいます。そういう点ではすごく魅力的な仕事でもあるし、書いた記事が何百万人、しかも企業のトップや政財界のエスタブリッシュメント(権威のある人たち)も読んでいるわけで、すごくいい媒体です。これが日経新聞という看板を外して同じようにやれるかというと、当然、難しくなるわけです。
高橋 辞めるに際して、迷うところはありませんでしたか?
後藤 たしかに辞めていいんだろうかという迷いは当然ありました。でも、何で辞めたかというと、大きい明確な理由があるわけじゃないんですね。たぶん誰でもそうだと思うんですけど、いろいろなものが積み重なって最終的に辞めたという感じです。
その一つとして、このまま10年先、20年先、ずっと新聞ビジネスというものが続いていくのかどうかを考えたときに、難しい局面になるだろうと思いました。
高橋 紙の媒体は新聞に限らず、どこもすごく部数が減ってますからね。